トラブルメーカーの苦しみ
顔を合わせれば、腹が立った話しばかりをする人は結構います。
自分は不思議とトラブルに巻き込まれる、と話します。
しかし、そんな人を注意深く見てみると、その人自身がトラブルに好き好んで首を突っ込んでいるのではないか、と思えて来ます、また、
トラブルの火種が見当たらない時には、無理やりに火を起こしている様にすら感じられるのです。
勿論、本当に避けられないトラブルもあるのかも知れませんが、
私は、こんな嫌なことをされた、言われた、と騒ぎたてているのは、その人だけ、だったりします。
いつもいつも、そんな調子だと、周りも、関わらない様に距離を取りますが、
その人との関係性が薄い人だと、話しを信じ込んでしまう場合もありますし、
他人との心理的距離を測ることが苦手な人だと、騒ぎ立てる人に呑み込まれてしまう場合は実に多い、と思っています。
他者との心理的距離を測れない人は、ほぼ全員が、
自分と他人の感情を分ける境界線、が曖昧です。
声高に、ヒドい事をされた、悔しい、と訴える人を、簡単に心の中まで招き入れ、
それは、ヒドい!、と同調する頃には、すっかり騒ぎ立てる人に、巻き込まれています。
巻き込まれる人は、境界線が曖昧ですが、
巻き込む人、騒ぎ立てる人、もまた自他の感情を分ける境界線が曖昧な人です。
そもそも、トラブルに吸い寄せられたり、火種が無いところに火を起こしたりするのは、
その人が、心に重大な思い込みを持っていることに端を発します。
その思い込みとは、自分が無価値な存在だ、という感じ方です。
この、無価値感、は、あらゆるネガティブな感情の中でも、最も認めたく無い感情、と言えます。
だから、自分は無価値だ、という思い込みを心にべったりと貼り付けてしまっている人は、
どうしても見たく無い無価値感から、眼を逸らすことが、人生の目的になってしまいます。
無価値、と固く信じ込んでいるのですから、その人の自己評価は地に落ちています。
無価値感を見ない様にする為には、地に落ちた自己評価を押し上げなくてはなりません。
その人は自分が嫌いです。
無価値だから、です。
無価値な自分を嫌っている限り、自分で価値を上げようとは、思いたくとも思えません。
無価値である、という結論めいた思い込みがある限り、自信がもてません。
自分のチカラを信じることが出来ません。
だから、外にトラブルを創り出し、その渦中に入って、こんな嫌がらせを受けた、こんなヒドいことを言われた、と騒ぎます。
被害者である限り、自分の価値が担保されるのです。
無価値な自分は人生を切り拓く自信が持てないから、他者を悪者にすることで、自分の価値を感じる、という事です。
朝、職場で顔を合わせた同僚が、考え事をしていて挨拶をしなかったことが、
その人にとっては、無視した、嫌がらせを受けた、となります。
考え事でもしてたのかな?とは、思いません。
その人は、自分を無価値だ、と思い込んでいる為に、本当に、世の中が悪意に満ちている様に見えています。
そして、そこに、同じく無価値な思い込みを持ち、自他を分ける感情の境界線が曖昧な人がいると、
悪意に満ちた世界に引き込みます。
そういった一連のことは、無意識に起こることで、
特段騒ぎ立てるつもりは無く、騒ぎ立て、
悪者にするつもりも無く、悪者に仕立て上げ、
巻き込むつもりなど無いままに、巻き込みます。
無価値な思い込みを抱える親が、子供を愛している、と思いながら、責め苛み、
惜しみなく与えているつもりで、限りなく奪っているのと同じです。
先ずは、自分の見たく無い物は何か、目を逸らし続けている物は何なのか、
無意識のフロアに散らばっている物を、
意識のテーブルに拾い上げること、が必要と思っています。
他人が指し示しても、無意識のフロアに散らばった物を拾い上げることは叶いません。
その人が気づき、その人が拾い上げ、その人が生きづらさを手放します。
子供を使おうが、他人を悪者に仕立て上げようが、周囲を巻き込もうが、
本人は自分が嫌いで、
それはそれは苦しいのです。
しかし、おそらくは、その苦しみや悪意に満ちた世界しか見たことが無いので、
自分が、苦しい、という事にすら気がついていません。
心は、チクチクした痛みや、
モヤモヤした不快感などを、
その人に伝えている筈です。
少しでも、自分に疑問を感じたら、
心が発する信号を、
聞き取って欲しく思います。
きっと聞こえる筈なのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム