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自分と向き合う、って?

心のこと、を考える時、意識と無意識がある、と理解する事はとても大切だと思っています。

生きづらい人が、意識の上では、生きづらさを手放したい、と思いながら、
無意識の領域では、生きづらさにしがみついている、という事はとても多いのです。

意識の上では、生きづらさを手放そうとアクセルを踏み、
無意識では、手放すまいとブレーキを踏んでいるのです。

車体は揺れ、エンジンは唸りをあげるばかりで、前には進みません。

意識の後ろに無意識があり、生きづらさを手放したい、と思いながら、その後ろに、生きづらさにしがみついている自分が居る、という事が解ると、

心、という部屋が見えて来ます。

部屋の中には、意識、というテーブルがあります。
テーブルは、無意識、というフロアの上に置かれています。

フロアの広さに比して、テーブルは小さいのです。

その小さくて狭いテーブルに乗った物しか、見ていないし、解っていないという事に気がつきます。

フロアには、これまで気が付かなかった自分の感情が無雑作に転がっています。

この無意識のフロアに転がっている感情を一つひとつ拾い上げ、意識のテーブルに乗せることが、生きづらさを紐解く事、なのです。

ですから、意識と無意識がある、と知っておく事は、生きづらさを手放す時には、大切な事です。


生きづらい人は、心という部屋、を大切にしてもらった経験がありません。
部屋のドアも窓も開けっ放しで、いつも親が当たり前の様に出入りする環境で育ちました。

だから生きづらい人には、心という部屋、が大切という感覚がありません。

生まれた時から、親は当たり前に部屋に踏み入りました。

親は、意識のテーブルに、親の感情や親の都合、親の価値観、そして親の眼鏡に適った規範意識や道徳、社会通念などを所狭しと並べました。

その人は、親が部屋に踏み入る事も、意識のテーブル一面に親の物を並べる事も、生まれた時からそうなので不思議にも思わず、

自分の感情はフロアに投げ捨てて、テーブルに並んだ親の感情や都合だけを見て生きて来ました。

当然ですが、テーブルに並んだ物に愛着はありません。
親は「大事な物だよ、お前の為にテーブルに並べるんだから、大切にしなさい。」と言いますが、
その人にとっては、親の物なので、愛着も湧きません。

テーブルは、親の物、に感じられ、部屋自体が親の物という感覚です。

部屋で起きる事は、他人事、に感じられます。


親から幼い頃に、心という部屋、を大切にされた人は、部屋は大切だと思って生きますし、
部屋のフロアも、フロアに置かれたテーブルも大切です。

親はドアをノックしますし、その子の許可無しに踏み入る事はありません。

テーブルには、その子が選んだ、その子の好みの物が乗っています。

だから愛着があります。
部屋もテーブルもフロアも、全部自分の大切なもの、です。

だから、部屋の中で起きる事は、自分に起きた事であり当然、他人事では無いのです。

心が他人事では無い状態が、自分の人生を生きている状態、と言えます。


生きづらさに気がついて、生きづらさを手放そうとする人で、
自分と向き合う事がなかなか出来ない人が居ます。

生きづらさは人其々であり、生きづらさの現れ方も様々ではありますが、

自分と向き合えない人に共通して言えるのは、
自分の人生を他人事として捉えている事、だと思っています。

その人の、心という部屋、には親がドカドカと踏み入るのが当たり前で、意識のテーブルには親の好みの物が並びます。
生まれてからずっと、その状態なので、その人には居場所がありません。

心という部屋は親の持ち物だと思っています。
自分の感情は半ばオートマチックに、無意識のフロアに投げ捨てる癖がついていますから、

湧き上がった感情は、次の瞬間には、どんな感情なのかを確かめる事無く、無意識のフロアに転がります。

そうやって生きるうちに、その人は、自分の感情なんて投げ捨てるだけの何の価値も無いもの、だと決め込みます。

その人は、自分の好き嫌いで物事を決め、自分の基準で物事を測り、生きている、と思っていますが、

意識のテーブルに並んでいるのは、親が置いた、好き嫌い、であり、親が置いた親の、基準、です。

自分の、好き嫌い、と、価値基準、は無意識のフロアに転がっているのです。

それでは、自分の人生を生きられる訳がありません。

生きづらさに気がついて、生きづらさを手放そうとする時に、

自分と向き合おうとしても、向き合えないのは、

意識のテーブルに並べられた、親の持ち物、を自分の感情だと思い込んでいるから、です。

無意識のフロアに転がる自分の感情を、一つひとつ拾い上げて、

意識のテーブルに並べる事が、

自分と向き合う、という事です。


生きづらさに気がついた今、

親の持ち物は、もう、

テーブルから降ろして良いのです。

フロアに転がる感情を、

一つひとつ拾い上げ、

テーブルに並べます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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