「甘えている」という周囲の声をどう捉えるか
生きづらさを抱えて、苦しんでいる人は、周囲の他人から、「甘えている」という評価を受ける事が少なく無い、と思います。
生きづらさを抱えている人の苦しみの根源は、過去に負った、心の傷、にあります。
昨日今日、突然に生きづらくなった訳では無く、
幼少期の生育環境を中心に様々な要因があって、
その人は生きづらいのです。
生まれてから、生きづらい今に至る経緯の全てを知り、理解する他者は居ない事は明らかです。
だから、他者には解かる筈が無く、
その、苦しみを誰にも解ってもらえない事が、生きづらい人の苦しみを更に大きくします。
愛情溢れる親の下に生まれ育った人であっても、思春期には、多かれ少なかれ、誰もわかってくれない、という感覚を持ちます。
心の中の、【自分】という意識、がまだ充分に育っていない成長の途中だから、です。
充分に愛情を注がれて、自分には価値が有る、という基本的な自分に対する、安心感、を持った人でさえ、
成長の途中には、誰もわかってくれない、という孤独を感じるのです。
だから、「甘えている」と評価する人は、かつて味わった孤独を尺度にして、生きづらい人の苦しみを測り、
「自分だって孤独を乗り越えたんだ」
という思いから、
「甘えている」と評価します。
生まれ落ちてからずっと、一人の人として尊重されること無く生きた、生きづらい人の苦しみは、
「甘えている」と評価する他人には、その孤独の深さは想像がつきません。
同じ、孤独感、であっても、心の奥に、自分には価値が有る、という安心感が有った上での孤独なのか、それとも、
自分には価値が無い、という無価値な思い込みが心に貼り付いていての根源的な孤独なのか、という根の深さの違いがあります。
けれども、その違いは周囲の他人には解らない事なのです。
自分の抱える生きづらさを手放す際には、様々な痛みを伴います。
この、どれ程苦しかったか、そして今尚どれ程苦しんでいるか、を解かる他者はいない、という事を受け容れる痛みは様々な、伴う痛み、の中でも、大きなものだと思っています。
生きづらさを手放す、痛み、とは、受け容れ難きを受け容れる痛みだと思うのです。
では、受け容れ難い強い痛み、を受け容れるには、どうしたら良いでしょうか。
それは、他者からは決して全てを解ってもらう事が叶わないのですから、
自分が自分の一番の理解者になり、一番の味方になって、
たとえ世界を敵に回しても、自分だけは自分を見捨てない、と決めてしまう事、だと思っています。
本気でそう思えた時、世界を敵に回しても…、と言いましたが、世界は敵では無い事が解ります。
観念的な表現になってしまい、解り難いとは思いますが、
他者が「甘えている」と揶揄したとしても、
世界を敵に回しても、自分だけは自分の味方だ、と決めたなら、
この人には甘えている様に見えるんだな、と思えますし、
でも、自分だけは全部解っている、と思えます。
甘えていると揶揄する声は、ひとつのキッカケであり、
キッカケを合図に責め始めるのは、実は、自分自身、です。
ただでも傷だらけな自分を責め立てて、傷の上に傷をこさえているのは、他でも無く、自分自身、です。
ここで注意が必要なのが、これまでそうやって、自分を自分で責め立てて生きて来た人は、
自分で自分を責める自分、をまた責め立てます。
もう嫌と言うほど責めた筈です。
だから、責めることを全部止めるつもりで自分と向き合います。
自分と向き合い、自分の心の傷を見据える意味は、こんな傷を負って生き抜いたんだから、自分を責めるクセがついても仕方が無い、と納得する為です。
心の傷が出来た経緯を辿るのは、こんな事があったら傷つくのは当然だ、と腑に落とす為です。
仕方が無い理由があって傷ついて、どうにもならない訳があって自分を責めて生きて来たけれど、
もう世界を敵に回しても、自分だけは自分の味方だ、と、決めるのです。
そんな事は出来ない、
自分には価値がない、
全部自分が悪い、
そう思う、生きづらい人、は少なく無いと思っています。
でも、出来るんです。
自分には価値がない、という思いも、
全部自分が悪い、という決めつけも、
全て、いわれの無い思い込み、です。
いわれの無い思い込みは、この世に生まれ落ちた後、幼少期の生育環境を中心とする様々な要因によって作られました。
私達は生まれた時は、一人残らず希望の光りを纏った存在です。
様々な要因が重なって、光りは曇ってしまいましたが、
根源的には皆、希望の光りを纏っています。
曇りの方が、後付け、なのです。
今生きづらくとも、どうしても拭えないと思っている、無価値感、は根も葉もなく、いわれの無い、後付けの、思い込み、に過ぎません。
そして、希望の光りを纏っていることこそが、根源の真実、です。
今、信じ込んでいる、無価値な自分、は、単なる思い込みであり、
希望の光りを纏った自分、こそが真実であることを、思い出して欲しく思います。
思い出す為に必要なのは、
世界を敵に回しても、
自分が自分の一番の理解者で、
自分が自分の一番の味方であると、
決めること、なのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム