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親がファンタジーに生きると、子は現実を生きられない

子供を支配する親は、現実を生きられない人、です。

本当は、自分自身を無価値だと思い込んでいます。
無価値な自分自身に絶望しています。

しかしその事を、認める事が出来ません。

人が囚われるネガティブな感情は星の数程も有ります。
悲しみ、寂しさ、怒り、罪悪感…、まだまだ沢山有りますが、

その中で最も認めたく無い感情が、無価値感、です。
自分には価値が無い、という感じ方です。

子供を支配する親は、自分の心の内壁にべったりと貼り付いた無価値の思い込みを、無いもの、にします。

どうしても直視出来ないからです。

有るものを、無いこと、にするのですから、歪みが生じます。

本当は、無価値だと思い込んでいるのに、認めたく無いから、価値が有る風に振る舞います。

幻想を現実にしようとするから、歪みます。

その歪みを、我が子を使って解消しようとします。

支配とか、虐待とか言うと、親が高圧的だったり、暴力的だったり、という分かり易い形態を連想する方が多いと思いますが、形態は様々です。

高圧的だったり、暴力的だったりといった事も当然ありますが、

親が弱さを演じて子供を支配したり、
騙したり誤魔化したり、欺いて心理的に拘束したり、といった、静かで密やかな形態の方が多い様に思います。

とにかく、ありとあらゆる手段を使って子供を、自分が抱える無価値の思い込みから目を逸らす道具として、とことん利用します。


子供は徹底的に無力な存在として、その親の下に生まれ落ちました。

無力な存在であるその子に備わっている唯一の能力は、親を慕う力です。

その子は全身全霊で親を慕います。
慕った親が幻想に生きる人であったなら、
その子は、たちまちのうちに、親の人生に組み込まれ、親が作り出したファンタジーの世界の住人になります。

そして、歪みの一切を引き受ける、便利な道具、として、親の人生のエキストラになります。

親は現実を生きられません。

価値が無い、と固く思い込んでいるのに、価値が有るフリをするのですから、現実を最初から否定しています。

私達が触れる事が出来るのは、今、だけです。

過去がどんなに色鮮やかに蘇っても、
未来の希望や不安がどれ程リアリティを帯びていても、
過去も未来も私達の思考が創り出す、想念、です。

つまり、触れる事が出来る、今、だけが、現実、です。

その現実から目を背けるその親は、今、を生きる事が出来ない人です。

今、を生きられないから、その親は、過去を悔やみ、未来を憂います。
その親の、今、は現実では無く、都合の良いファンタジーなのです。

その親の下に生まれたその子は、生まれるやいなや、親のファンタジーに組み込まれます。

親が都合良く、価値有る自分を演じるファンタジーの世界で、現実との歪みの全てをその子は引き受けて、ファンタジーの世界の住人になります。

ファンタジーの世界の住人は、今、を生きられず、現実に触れる事が出来ません。


支配的な親の下で育った子は、やがて生きづらさを抱えます。

生きづらい人は、親の人生に組み込まれ、歪みの全てを引き受けた人ですが、

自分は人並み以上に愛されて育った、と言います。
親への感謝を口にします。

人並み以上に愛されたのなら、どうしてその人は今、生きづらいのでしょうか。

その人が生きづらさを手放すなら、
ファンタジーの世界から抜け出すことが、絶対条件です。


親が都合の良いファンタジーに生きる人、である限り、
子は現実を、今、を、生きる事が出来ません。

親がファンタジーに生きる限り、子がファンタジーと現実の歪みを埋める役割を負ってしまう事は避けられない事である様です。

その子は生きづらい人になります。

一旦は、親に呑み込まれ、親の人生に取り込まれ、親のファンタジーを支える役目を負わされても、

その事に気がついたなら、自分の人生を生きる事は出来ます。

自分は人並み以上に愛されて育った、と思いながら、
同時に生きづらさを感じているとしたら、

愛されて育ったのならば、どうして今、重々しい生きづらさを背負ってしまったのか、
生きづらい自分に問うてみて欲しいのです。

一旦、親のファンタジーに取り込まれてしまった人が、

その事に気がつくのは、並大抵の事ではありません。

しかし逆に言うなら、

生きづらい人が、生きづらさを手放す事は、

真実に気づいて、

真実を見据えて、

真実に沿って決断するだけ、なのです。

愛されたのなら、

どうして今、

生きづらいのか、

其処に、鍵、は落ちています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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