私に悪いところが有るなら直すから…
恋人から突然、別れ話を切り出された時、
ドラマなら、幸薄そうなメイクの女優さんが、「私に悪いところがあれば直すから、捨てないで。」といった台詞を口にして、すがりついたりします。
実生活で、そんな台詞を口にする事は、そうは無いと思いますが、
口に出さないまでも心の中で、そんな気持ちになった事がある人は少なく無いのではないか、と思うのです。
恋愛関係は、母子関係と近しい特別な一体感を感じる関係性と言えます。
特別な感情に陥るから、甘美である訳です。
幼児は、肉体は独立していても、未だ心は母親と渾然一体となっています。
幼児と母親の心は、未分化と言えます。
その未分化な状態を経験する事で、幼児の一体化願望は満たされ、成長と共に段々と母親との、心理的境界線が明確になり、やがて心理的に独立し、
自分は自分、母親は母親、という心理状態に至ります。
子供と母親との心理的境界線が明確になる事は、子供が自分として自分の人生を歩むには必要不可欠です。
幼児期の母親からの心理的分離が上手くいった人であっても、
恋愛は、友人、知人などとの関係性とは異質のもの、だと思います。
他の人間関係よりも、心理的距離は近くなります。
距離が近い、という事は、関係に充足感もあれば、多幸感も得られる反面、傷つけたり、傷つけられる事も多く有る事でしょう。
どれだけ心理的距離が近くても、身体も心も独立した人間同士ですから、一体にはなれないし、なるべきでもありません。
心理的に独立している人であっても、失恋すれば失意に沈みます。
けれども心理的に独立している、という事は、自分は自分、母親は母親、という心理的境界線を明確にしたのと同様に、
自分は自分として立ち、恋人は恋人である、と明確に認識している、という事です。
心理的境界線が明確である、という事は、相手を一人の人として、尊重、しているという事なのです。
幼児期の母子関係に於いて、一体化願望が満たされた子供はやがて、母親との心理的境界線が明確になる、と述べました。
母親との心理的境界線が曖昧なままになってしまう子供は、
先ず、母親と心理的に一体になる事に失敗しています。
失敗の原因は、母親の心が親になれる程までに成熟しておらず、子供は親を慕うのに、慕う我が子を受け容れる事が出来なかった事に有ります。
受け容れを拒否してしまった、という事です。
拒否された子供は、慕っても母親と一体になる事は出来ず、一体化願望が満たされる事はありません。
一体化願望が未消化になってしまった子供は、心理的境界線が曖昧なまま生きる事になります。
心理的境界線が曖昧という事は、一体化願望は未消化のままですし、それはつまり他者を一人の人として、尊重、する事が出来ない、という事を意味します。
自分と他人の感情を分ける心理的境界線が曖昧な人の恋愛は、どうしてもハードモードに陥りがちです。
幼児期の母子関係に於いて一体化が叶うのは、子供は親を慕う自然の理に従って慕い、母親は母性を持って受け容れるからですが、
恋愛関係に於いては、その母子間の自然の理は当てはまりません。
それでも未成熟な心は、一体化を求めます。
一体化を切望する幼さは、尊重、する事が出来ません。
相手の事も、自分さえも、です。
心理的境界線が曖昧、という状態は、極めて、独りよがりな心理状態、です。
恋人から別離を告げられた時、心理的境界線が明確に引かれている人であっても、失意に沈みます。
先に触れた様に、恋愛は特別で、恋人は特別な人、だからです。
それでも、「私に悪いところがあれば直すから、捨てないで。」という思いを持つ事はおそらく無い、と思います。
別離を告げた恋人の事は、今でも好きだけれど、恋人の事を尊重すれば、捨てないで、とは言えませんし、
自分で立って、自分を尊重していれば、自分である事を譲って、悪いところを直す、という思考にはならないから、です。
そもそも、明確に言語化する事はなくても、捨てないで、と言ったところで、恋人の心をコントロール出来ない事や、
悪いところを直す、と別れたくない一心で自分を曲げて偽ったところで、どうにもならない事を、
他者を尊重し、自分を尊重する事を知る人は、肌感覚的に解っています。
恋愛は、心が触れる程に、相手との距離が近まります。
それだけに、自分の心を見つめるきっかけになる場合は少なくありません。
特に、相手を尊重出来ているか、また自分を尊重しているか、という事を、浮き彫りにします。
失恋は辛い経験ではありますが、その辛い経験の中に、相手に対する、そして、その恋自体に対して、感謝にも似た感覚が、僅かにでも心の奥から湧いて来たなら、
それは、尊重、の証しだと思います。
尊重する事が出来るか否か、という事は、人間関係の根幹であり、
自分の成り立ちの現れでもある、と思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム