最も賢く、最も愚かしき者
霊長とは、万物の中で最も優れた者、という意味の様です。
ヒトを含むサルの一派に、霊長類と名付けた人が誰なのか私は知りませんが、
ひょっとしたらお酒でも飲んで気が大きくなった時に、命名したのではないか、と邪推したくなる程に、「大きく出たもんだな」と思うのは私だけでしょうか?
プロ野球の試合で勝利したチームの監督がインタビューを受けて、開口一番に「私が名監督の◯◯です」と自ら口走る様なこっ恥ずかしさを覚えます。
確かにヒトは、賢い生き物です。
知、の側面に絞って見るなら、他の生物と比べて突出した存在であることは間違い無い、と思っています。
これ程賢い生き物はいませんが、
これ程愚かしい生き物もまた、いないと思うのです。
賢いが故に、感じること、を疎かにして、考えること、に偏ったことが、ヒトの愚かしさの根源である様な気がします。
万物を創り給うた主が在るとして、その創造主の誤算なのかも知れない、と思う程に、
ヒトは賢くも愚かしい、と思うんです。
時間軸の中で、私達が触れることが出来るのは、「今」だけです。
過去や未来は思考が創り出す想念であり、触れることは叶いません。
思い出がどんなに色鮮やかでも、先々の不安がどんなにリアリティを帯びていたとしても、
それは、思考が創り出す、想念、です。
触れることが出来ない、自らが創り出した想念である過去を悔やみ、未来に怯えるヒトのなんと多いことか。
あの時、あんな事が無かったら、自分の人生は違ったものになっていた筈なのに、と悔やみ、
大変だ、マスクが売り切れてしまうから、薬局を回って買い占めなきゃ、と怯え、
肝心の「今」を疎かにしてしまうのは、思考が肥大化して、感情を蔑ろにしてしまう、霊長類のそのまた頂点に立つ、ヒト、の、愚かしさ、だと思うんです。
富が欲しい、名誉が欲しい、権力が欲しい、全部欲しい、もっと欲しい、
賢さ、と連れ立った、愚かさは貪欲なのです。
霊長類のそのまたテッペンに君臨するヒトは、賢さを駆使して、社会を円滑に回す為に、通貨を創り出しました。
もはや天敵などいないヒトという種が、円滑に回ることを求めて創り出した通貨制度や経済の仕組みが、ヒトの愚かしさの拡大鏡になってしまうのは皮肉ですが、
ヒトは、富の為、金の為に、ヒトを殺め、時に牢屋に入り、欺き、争います。
ヒトという同種の中で、富を得る為に生命の取り合いになることは、少なくありません。
他の生き物も、共食い、子食い、縄張り争いなどをしますが、
しかしそれは、大いなる賢さを得ると同時に、愚かさを背負い、愚かさを拡大する金の為に同種を殺める、ヒトという生き物の場合とは、全く違う話しだと思っています。
ヒトの尺度で測ると、共食いなどは、とても残酷なものに思えますが、
おそらく、ヒトの尺度では測れない理由があるのだと思うのです。
何故なら彼らは、自然の理(ことわり)に沿って生きています。
自然の理から離れて生きているのはヒトの方で、他の生き物は全て自然の理に沿って生きています。
驕(おご)った、ヒトという種の学問では、ほんの百年前までは、ヒト以外の動物に感情は無い、という事が定説とされていました。
遺伝子的に、プログラミングされ、機械の様にオートマチックに生きている、という暴論が定説の位置にあったのです。
そこには、そういう事にした方が都合が良い人々がいて、都合が良い産業があったから、なのだと思いますが、
勿論、動物達には感情があります。
動物と触れ合えば、誰しもが彼らの感情を感じるのではないか、と思っています。
むしろ、そういう事にした方が都合が良いからと、事実を捻じ曲げ自分たちの事情に無理やりはめ込むヒトという生き物の方が、
思考ばかりが拡大して、感情が鈍麻している、と思うのです。
私達ヒトは、発達した思考を誇って良いとは思いますが、
同時に、最も賢く、最も愚かしい生き物である、ということを、忘れてはならない、と思うのです。
過去を悔やむのも、
未来の不安に怯えるのも、
他者を妬み、恨むのも、
万物の中で最も優れている、と自負する、ヒト、だけです。
優れた思考の力を、
不必要な、後悔や不安に執らわれる事に費やし、
感じることを蔑ろにしてはいないか、
自問自答することは、
「今」を生きる為に、
とても大切だと思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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