大切にすべきは自分自身
その人が抱える生きづらさは言わば、人災、による産物です。
災いをもたらしたのは、その人の親であり、
もたらされた災いは、その人が抱える生きづらさです。
親は、子供を一人の人間として尊重する事が出来ない人でした。
子供を、自分が産み、育てるのだから、自分のもの、という感覚で言わば、所有、します。
そんな、人として尊重されない親子関係に晒されても、その人は生き抜いたのですが、
生き抜く代償は大きく、その人は生きづらさを抱えて人生を歩むことになってしまいます。
その人が生きた親子関係は、親が支配し、子供が従属する関係性です。
その親子関係しか知らずに育ったその人は、学校に行っても、社会に出ても、染み付いた支配と従属の関係性を基に人間関係を構築します。
本人に、自分のコミュニケーションが支配と従属に根ざしている、という認識はありません。
認識する事はありませんが、その人が知るコミュニケーションは、親子関係がモデルケースなので、支配と従属にならざるを得ないのです。
生きづらいその人が、自分の抱える生きづらさに気がついて、
生きづらさを手放す決意を固め、自分の心と向き合い始めた時、
自分自身がこれまで身を置いていた人間関係に違和感を覚えます。
生きづらさを抱える原因である親子関係は勿論の事、
その親子関係でのコミュニケーションを使って構築した、学校や職場での人間関係にも、これまで感じた事の無い違和感を感じる様になります。
自分を取り巻く人間関係の全てが、支配と従属を基軸として成り立っているのですから、全てに違和感を覚えます。
生きづらさを手放す為に、自分と向き合い始めて、これまでの自分を取り巻く人間関係に強い違和感を覚えるのは、
自分と正しく向き合えている証しではあるのですが、
とてつもない孤独を感じます。
先ず、親との関係性に強い違和感を覚えます。
親が、お前の為に…、と言いながら、実は支配していた事が解って来ます。
つまり、欺かれていた、という事が見えて来ます。
違和感は怒りに変わります。
あんなに親を慕ったのに、親は自分を騙していた、という事に、激しい怒りを覚えます。
信じた親子の情愛が、嘘だったのです。
怒りに揺さぶられるだけ揺さぶられます。
嘘は、親子関係だけではありません。
自分を取り巻く人間関係の殆どが、嘘の上に成り立っていた事が見えて来ます。
友人、先輩、恋人、次々に嘘が捲れて、真実が見えて来ます。
時に支配され、時に自分が支配して、その関係性は成り立っていた、という真実が見えて来ます。
生きづらさを手放す時、感じる孤独は小さくありません。
怒りに任せて関係性を壊してしまう事をお勧めする訳ではありません。
孤独に苛まれて、心を閉ざす事が正しいと言っている訳でもありません。
真実を見据える事が出来る様になったのですから、親子関係も、取り巻く人間関係も、真実を見る目で今一度見直し、適切な距離を測るのです。
適切な関係性を自分の中で再構築します。
真実が見える様になって、怒りが湧き上がったのですから、
その怒りは無視しないで味わい尽くさなくては、消化する事は出来ません。
信じた自分を騙した親に対する怒りは感じ尽くします。
一番やってはならないのが、怒りを無かった事、にすることです。
かつて自分の感情を無いものにして、従属せざるを得なかった事が、生きづらさを創り出しました。
今また、怒りを無かった事にするのは、幼い頃を再体験する事です。
怒りを感じ尽くし、自分の心の中で完結出来たら最も望ましいのでしょうが、
怒りは心から漏れ出す事もしばしば有ります。
それは、仕方が無い事だと腹を括ります。
親子関係を破壊する事が目的では決してありませんが、
もしも壊れてしまっても、自分の感情を味わい尽くす事を優先する覚悟を固める事は重要です。
覚悟を固めて、親子関係の距離を測り、自分を大切にした上で親子関係を再構築します。
適性な距離で再構築出来たなら喜ばしい事ですが、基本、覚悟を固めた子供は自分と親を尊重しますが、親は大半の場合、子を支配する構えのままです。
親子が縁遠くなる事もありますし、絶縁状態になる可能性だってあります。
子を支配したい親と、互いに尊重し合う事に目覚めた子供だから、です。
だから、自分を慣れ親しんだ従属の立場からすくい上げる為に、覚悟を固めるのです。
親子関係を壊す事が目的ではありませんが、自分を尊重する為なら、壊れてもやむなし、と腹を括るのです。
親子関係以外の自分を取り巻く人間関係も同じです。
自分を大切にする覚悟を持って、真実を見る事が出来る様になった目で人間関係を測ります。
自分を大切に出来る適性な距離で人間関係を再構築します。
壊す事が目的ではありませんが、壊れてもやむなしの覚悟を持って、人間関係を再構築し、
尊重する関係性に置き換わるならば、その相手との関係は続きますし、
支配と従属の関係性でしか、成り立たない関係は、遠い距離になりますし、壊れてしまう場合も多々あります。
生きづらさを手放すならば、
大切にすべきは、自分、
抑え込んでならないのは、怒り、
壊すのが目的ではありませんが、
壊れてやむなし、の覚悟を持って、
親子関係、人間関係の距離を測り、
関係を再構築します。
生きづらさを手放す事は、
自分を大切に扱う事、なのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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