とある大晦日の一日

2024年の12月31日、つまり去年の大晦日の出来事。一言では言いくるめない感情が上下左右動いた激動の一日の出来事を綴っていこうと思う。

その日僕たちは11時に上野駅に集合した。高校で仲の良かった友人の翔太郎と、くらと大晦日に集まるのはかれこら5回目くらいだろうか。高校の時も誰かしらの家でこの3人でよく集まって朝までたわいもない会話でよく笑っていたことを覚えている。

約一年ぶりの帰省だった為、集まる前日も地元の友人と夜遅くまで飲んでおり、酒が抜けきっておらず、だるい身体を無理やり持ち上げて家を出た。待ち合わせに少し遅れそうな時間だったが、そんなことを気にする間柄でもないので、ゆっくりと一服してから電車に乗った。

上野駅に着いたのが11時5分、予想通りまだ誰も着いていなかった。みんな遅れるとのことなので、久しぶりに上野公園を歩いてみようと、ぷらぷら歩くき始めた。

国立西洋美術館、上野動物園、不忍池を抜けて喫煙所を見つけたので、そこで待つことにした。
10分ほどで翔太郎と合流した。その時丁度くらから「ごめん、ちょーーーっと急用で30分くらい時間くれるかい!!」と連絡がきたので翔太郎共に喫煙所で待つことにした。翔太郎は今オーストラリアで料理の仕事をしている。最初、ワーホリでオーストラリアに行くと聞いた時は驚いた。ずっと浦和のホテルでコックをしていて割と堅実に生きるタイプだと思っていたから。当時僕がよく海外を旅していたのが、多少は影響を与えたのかどうかは知らないが。彼は農場でブルーベリーや葡萄のピッキングを2年。そして2年が経つ頃、世間がコロナ期間に入り、そのまま向こうの飲食店で働き始めた。5年経った今も永住権を取得しようとしてシドニーのカフェレストランで奮闘している。
一年振りの再会でたわいもない話をしてくらを待っていたが、一時間経っても来る気配がないので、駅まで戻って待つことにした。

上野駅に戻りnew daysでビールを買い二日酔いから酔った状態へと身体を回復させる。年末年始はずっとこんな感じで朝から晩まで頭がふわふわと酩酊状態を続けていた為、軽井沢に戻ってから案の定体調を崩したことは内緒にしておく。

ほどなくしてくらから「今電車に乗ったとこ!」と連絡がきた。
この後起こる展開をこの時はまだ誰も知る由もなかった。

つづく

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