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インタビュー/対談

【単独インタビュー】『ナミビアの砂漠』河合優実と山中瑶子監督が共鳴した“今を生きることの混沌” | Fan's Voice
2024.09.21 9:00 Atsuko Tatsuta(立田 敦子)
https://fansvoice.jp/2024/09/21/desert-of-namibia-interview/

──ハヤシとの会話の中で、「あなたは帰るところがあっていいよね」というセリフもありました。また、後半にカナがお母さんとテレビ電話で話すシーンがありますね。カナがミックスのルーツであるという設定は、中国人の母親を持つ山中さんがご自身の経験を反映しているのでしょうか?

山中 最初はカナがミックスルーツという設定は当初は想定していなかったのですが、どのように映画を終わらせようかと考えている時に、海外にいる親戚から電話がかかってくることによって、(ハヤシとカナの)二人の置かれている地平がほとんど同じになるというアイディアを思いつきました。それまで二人が同じ日本語という言語を使っていながらもコミュニケーションがうまくいかず、身体を使って喧嘩するようになる。だから、分からない言葉があるということ自体が、ある種の救いになるようなラストが良いなと考えました。そこで、カナが中国ルーツであるという設定が生まれた。そもそも私自身が、ミックスルーツにおける所在の無さみたいなことをいつも感じていたし、そのことと『ナミビアの砂漠』の中に転がっている何かにとても呼応するものがあるな、と。それで脚本を書いていくうちに、点と点が繋がったように感じています。

河合 そういう“通じなさ”は、ミックスルーツでなくとも多分みんなに経験がありますよね。バックグラウンドや考え方によって、これは言葉で言っても伝わらないだろうなと感じることがあると思います。そういう時の他人との線の引き方もすごい絶妙だと思ったし、“わかるな”と思った。いろいろな理由で自分が属する場所がないと思っている人はたくさんいるだろうから、そういう人にとってはリアリティがある感覚なのではないかと思います。

──カナは走りながらお菓子も持っていますが、なぜお菓子を持っているのですか?

山中 あれは「かっぱえびせん」です。「やめられない、とまらない」という。

──もしかすると、ダジャレですか?

山中 そうですね、今日のファイト、やめられない。いや、でもあのシーンで考えていたことは、私的にはあれは資本主義を象徴した抽象空間です。資本主義や消費社会というものが、現代人を無駄に疲れさせる要因だということを表した部屋。カナが働いている脱毛サロンもそうですが、本来やらなくてもいいのにまんまとやらないといけないと思わされていることが、現代には多すぎる。あのピンクの部屋のシーンは、そんな話を美術の小林蘭さんと考えていきました。抽象空間とはいえ何か物は置きたいということになり、「IKEAの1500円の電気スタンドをいっぱい置くのはどうですか」と提案されて、あのシーンができました。
蘭さんにとっての資本主義の象徴は、IKEAの1500円で電気スタンド。電気スタンドが1500円で買えてしまう裏にはどんな搾取構造があるんだろう、と考えてしまう世の中で、しかもあのスタンドは説明書通りに組み立ててもまっすぐには立たない。どれも僅かにあちこち曲がっていて、すごく歪な身体に見えたりもします。ランニングマシンも私のアイディアではなく、この話を聞いていたカメラマンの米倉伸さんが「ランニングマシンを置くのはどうですか」とか提案してくれました。「何でですか?」と聞いたら「直感です」と言われましたが、確かに、この現代社会に生きていて、何かに無理矢理走らされているような感覚に陥る局面が多々あるなと思って、さすが!と。そして、実は中国語ではリトルピンクと書いて「小さな共産主義者」っていう意味の単語があるんです。

金子大地インタビュー 「好き」で繋がっている2人を目撃する映画『ナミビアの砂漠』 - otocoto
Sep 18, 2024 取材・文 / 伊藤さとり
https://otocoto.jp/interview/cafecinema98/

【カナ】と【ハヤシ】が向き合ってハンバーグを食べるシーンは、僕自身は勝手に【カナ】に対して愛がある感じで芝居をしていたんです。「好きだよ」って感じではないけど、ハンバーグを食べている【カナ】が親と電話をしている姿を見て、【カナ】を絶対に幸せにしようという想いで芝居をしていました。でも観客側からするとあのシーンはそう見えていないんです(笑)。それが面白いと思いました。

煙草を【カナ】が吸って、その後【ハヤシ】にそれを吸わせようと差し出すシーンありますよね。【カナ】が煙草をフーッて、やってからの一連の芝居は河合さんのアドリブだったんです。

人との距離感に悩む女性を描いて。映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督に聞く:telling,(テリング)
2024/09/18 文:伊藤恵里奈
https://telling.asahi.com/article/15425979

カナに関しては、何も考えずに、暴力的な女性を描くのはよくないなと思いまして。今までの映画史で、男性たちの理由なき暴力を描いた映画はいっぱいあるのですが、やはり何か自分なりに倫理感がないと暴力は描いてはいけないと思いました。いろんな人の話を聞いたり、怒りの発露を考察した本を読んだりもしました。

話題沸騰! 日本映画界に新風を吹き込む『ナミビアの砂漠』山中瑶子×河合優実の対談をお届け|ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)公式
By Reiko Kubo公開日:2024/09/13
https://www.harpersbazaar.com/jp/culture/tv-movie/a62181043/desertofnamibia-yokoyamanaka-yuumikawai-240913-hbr/

「撮影後、河合さんに5年後に またこのメンバーで映画撮りたいですねって言われま したが、5年に1回は多すぎる(笑)。本当は今一番、 頭を使って働いたほうがいい気もしますが、燃え尽きてしまいそうだから。エネルギーを溜めて使い、溜めて使いという感じでいきたいです」(山中)

山中瑶子監督が語る『ナミビアの砂漠』。無意味に過ごす時期があってもいいし、一生それでもいい | CINRA
2024.09.13 Fri インタビュー・テキスト by 井戸沼紀美
https://www.cinra.net/article/202407-yamanakayoko_ysdkr

山中:『ナミビアの砂漠』では、実際に感じていることと身体に出ることのズレを表現したい気持ちもありました。言っていることは嘘でも、仕草を見たら、その人の考えていることが見えてくるような。だから身体的な表現が多くなっていて。それを脚本上で読むと、街で突然側転をするだとか、意味が通りづらい部分もあったと思うんです。でもスタッフたちは「この動きはどういう意味ですか」と誰も聞いてこなくて。すごくいい現場だな、と思いました(笑)。

山中:本当に危険なシーンにはスタントの人に入ってもらいました。例えば階段を転げ落ちるシーンについて「河合さん体張ってたね!」と言われることもあるのですが、そんなわけないでしょ、と(笑)。

そして私も「胸なんて映したっていい」と思っていますね。性的な対象ではない、生活の一部としてあたりまえにある身体を映したいと思っています。ただ、実際にそれを自分が撮るかどうかはもちろん俳優の選択が最優先であると思っています。こちらが無理にお願いすることではなく、映画においての意図やわたしの考えを伝えて、理解された上でできることです。

映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督にロングインタビュー | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報
12 Sep 2024
https://ginzamag.com/categories/interview/470605

──私、ホンダについてお気に入りのくだりがあって。出勤前に香水をつける時、宙にシュッシュッとスプレーして、その下をくぐるところなんです。

あれ最高ですよね。脚本には単に「香水を振る」としか書いてなくて。撮る前に「みんなはどうやってつけてる?」ってその場にいたスタッフに聞いたら、助監督のファッション好きな男の子が「正しいのはこれです」ってやってみせてくれたんです。それがなんか滑稽で面白くて、寛一郎さんにはそれを参考に演じてもらいました。あれで、ホンダの人となりも見えるし、なんか儀式のようで、彼なりに何かをやり過ごそうとしているんだなとも感じてグッときます。

──21歳のカナは東京在住。退屈しのぎに恋人を乗り換えたりしながら、漫然と毎日を送っています。物語を通して成長していくという、主人公像の定型へのアンチテーゼともいえるキャラクターを生み出した背景について、どんな思いがあったか教えてください。

人って人生のうちに、成長とかせず、停滞している時間のほうが長いんじゃないかなって。「日々成長」とか言われると、“それってどういうこと?ただ毎日が経過しているだけでもよくない?”なんて思っちゃうんですけど。停滞はよくないこととされていますよね。特に今は、「何かやらねば」「成し遂げなければ」みたいな風潮もあって。これはきっと、たとえば江戸時代にはなかった感覚で、現代的な速度感とか、資本主義のせいなのかなと思うんですけど。正常じゃないのは社会や世界のほうで、カナみたいに混沌として怠惰でいることは別におかしくない。そういう気持ちがあります。

同じ時代に生きる同志のような目線で作品作りへと向かう山中瑶子監督が、映画『ナミビアの砂漠』で映したものとは - BARFOUT!
SEP. 10 2024, 11:00AM 文 / 上野綾子
https://barfout.jp/culture/7346/

実のところ、河合さんにどういう役を演じてもらいたいかということは早い段階から決まっていたんです。無責任で、平気で嘘を吐けるような嫌な子がいいなということは決まっていたんですけど、その子がどういう環境にいるのかなどの外的要素は、いろんな人の話を聞いた中から拾っているので、結果的に今を生きているリアリティのある人物像になったのではないかと思います。

山中 どういう映画を作りたいかと考えていた時に、人間が2人いた時に起きる権力関係の不均衡さを映したいなと思いました。あとは「トウソウ」、逃げる方の“逃走”と戦う方の“闘争”がワードとして浮かび上がりました。「逃走線」という哲学的思考があるんです。

簡単に言うと、システムに固められた世の中から逃げる、組み込まれないようにする、それが新たな創造に繋がるというようなもので。カナにとってホンダは、ちょっと規範的でつまらないとも言えるから、そういう人から“逃走”する。で、逃げた先でハヤシという一見自由そうで刺激的な人と暮らし始めるけど、今度はカナがハヤシに対してちょっと抑圧的になってくる。で、今度はハヤシがカナから逃げたいと思う。

そういう立場の逆転と、“闘争”という意味での感情のせめぎ合いに発展していく、そんなことを考えていました。自分がどういう存在としてこの世界にいるのかを、分かりたいということが、最終的なカナの欲求として出てくるのですが、それが男性2人との関わりで少しでも見えてくるといいなと思っていました。

映画の“よさ”は何で決まる?河合優実×金子大地×寛一郎が今、考え抜いた答えとは|Bezzy[ベジー]|アーティストをもっと好きになるエンタメメディア
2024.09.09 18:00
https://bezzy.jp/2024/09/50253/

金子 それでいて、見えない怖さみたいなものがあって。撮っている間は、このシーンをどう見てるんだろうみたいな緊張感がずっとありました。基本はめちゃくちゃ優しいし、リラックスして楽しめたんですけど、たまにこっちが勝手に監督は本当にこれでいいと思っているんだろうかと考えさせられるような。そういう覇気を持っている若手の監督はなかなかいないだろうと思うので、すごいです。

寛一郎 僕も初日はすごく怖かった。この作品のキャラクターは、みんな監督の分身たち。だから、正解は監督の中にあるんですよ。もちろん僕らが脚本を読んでつくってきたものも正解ではあるんだけど。監督の中にある正解とそれが完璧に合致する部分はどこだろうって探っている段階だったので、初日は。リズムも何もつかめてない状態でやっていたので、すごく怖かったですね。

ロケ地なぜ町田?河合優実主演『ナミビアの砂漠』カンヌ受賞の山中瑶子監督に聞いた | 監督インタビュー | ロケなび!
2024.09.07
https://locanavi.com/interview/director/yamanaka-yoko-namibia/

カナの暮らす街は町田での撮影が多かったようですが、ロケーションを選ぶにあたり基準などはありましたか。

山中監督:若い女の子は実際そんなにお金がない子ばかりで、遊ぶのに歌舞伎町へ出てくるとしても住んでいるのはもっと郊外なんじゃないかなと思って、町田がちょうどいいのではないかとなりました。最初のカットのマルイの感じが好きなんですよね。佇まいというか、ショッピングモールが並ぶ2階の歩道みたいになっているところが好きで、面白い場所を撮りたいというのもありました。

『ナミビアの砂漠』公開記念 山中瑶子監督インタビュー | Bunkamura
2024.09.06 文・インタビュー:浅倉 奏
https://www.bunkamura.co.jp/topics/cinema/8957.html

「映画は社会を映す鏡だから、映画で描かれていないと、社会に存在しないということになってしまう。だからとにかくたくさんの視点から、幅広い映画が生まれるように──いろいろな属性の人が監督したり、脚本を書いたりするのが当たり前なように早くなってほしいですね。いろいろな映画があるというのは豊かなことで、映画は他者のことを訳してもくれるし……私にとってはそこが、映画の存在意義として重要かなと思います。」

最後カナとハヤシが、親戚からの電話で中国語を浴びるシーンは、これまで権力闘争のようなことをしていたふたりが、最後の最後でもっと「わからない」言葉に直面することで、やっとふたりで同じ地平に立てて終われるかな、ということを考えていました。でもそれを脚本で書いて、感覚的にはわかるところがあっても、実際に芝居を見るまでは誰も「ここでこの映画を終えられる」って思えてなかったです。文字で読んでもあまりピンとくるようなものではなくて、私自身も直感的に書いてしまったなって。でも現場でふたりの芝居を見たときに、「ここでこの映画は終えられる!」と確信して、とても感動しました。

最後のシーンでいうと、部屋の家具の配置が中盤と比べて左右対称に入れ替えられていたように見えたのですが、あれは意図したものでしょうか?

よく気が付きましたね!マンションの撮影は俳優の支度用だったり荷物を置いたりするのに隣の部屋も借りることが多いのですが、あそこの物件は左右対称の間取りのふたつの部屋が、実は壁一枚外すと中で繋がっていたんです。ロケハンのときにそれを見たカメラマンが、「物語の終盤で部屋を入れ替えるのはどうですか?」と言いだして。その場に美術部の方もいて、作業が大変なのは美術部なのに「いいですね」って(笑)。面白いなと直感的には思ったのですが、実際にやるのなら「なぜ反転するのか」は自分の中だけでも決めておかないとな、と考えました。

劇中、カナとハヤシがふたりで食卓に向き合って座るのは中盤の喧嘩のシーンと、あの最後のシーンだけです。中盤の喧嘩のシーンは状況がすごく悪化していて、救いようのない感じもする。だけど最後は、そんな単純なものではないけれど私としてはハッピーエンドにしているし、その上でふたりにまたあの席に座ってもらいたいと思いました。でもこれまでと同じではなんかダメだな、となったときに、(部屋が反転しているというのは)「決定的に変わってしまった」表現としてはいいのかも、と思ったんです。

「ナミビアの砂漠」山中瑶子監督の映画作り 「自分の気持ちを素直に話すようになったら、いいことしかない」
2024/09/06 文・ ライター・編集者 羽佐田瑶子
https://www.wwdjapan.com/articles/1901864

——カナの職業設定がなぜ脱毛サロンなのか、気になっていました。

山中:脱毛サロンは資本主義とルッキズムが強く結びついた悪しき面が強いと今は感じているんですが、私がそれこそ大学1年生の頃に契約して通っていたことがあって。場所によるのかもしれないですが、施術してくれる人が毎回違うんです。明るいところで何人もの他人に裸を見せてひっくり返っているシュールな状況に、こちらは滑稽だなと思うけれど、働いている人からすればもはや何でもない流れ作業で、入れ代わり立ち代わり他人の無数の毛根に対峙する不思議な職場だと思っていて。彼女たちはどんな生活を送っているんだろう、と当時脱毛されながら考えていたことを思い出したんです。カナはたぶん恋人に家賃を払わせていたりしていてそこまでちゃんと稼がなくてもいいんですが、時間を持て余すより働いている方が余計なことを考えずに済んで楽だったりするので、そういう意味でも淡々とした仕事がいいと思いました。

——無性に好きなシーンが、浮気相手に走って会いに行くところと、タバコを吸いながら坂を自転車で下っていくところ。物語に直接的に関係のないシーンも割とあったように思ったのですが、いかがですか。

山中:最初3時間もあったので、いくつかのシーンは落とす選択をしなければならず頭を悩ませましたが、ストーリーラインに関係のないシーンは、むしろ残そうと決めていました。そもそもこれは物語を展開させていく映画ではなくて、カナが今どういう状態にいるのかという、カナの在り方を見つめていく映画なので。他の監督だったら捨ててしまうかもしれないし、私も絶対的な理由があって書いたわけではなかったりするのですが、そういう無意識から出てきたものこそ大切にしたいと思って。自転車で下っていくシーンは、カメラワークも相まって気持ちがいいですよね。

——カナの、無表情な感じも好きです。

山中:無表情だけど体力ありそうな顔をしてますよね(笑)。

山中瑶子監督が語る『ナミビアの砂漠』。奇跡の縁を持つ河合優実との共作は社会との苦闘 | NiEW(ニュー)
2024.9.6 取材・執筆 浅井剛志
https://niewmedia.com/specials/yoko-yamanaka/

―タイトルはなぜ『ナミビアの砂漠』になったんですか?
山中:構想となる地図を実際に脚本に落とし込んでいく段階で、河合さんが演じるカナという人物像があまり見えてこないなと感じるタイミングがありました。カナはいつも誰かと一緒にいるけれど、家に1人でいる時間は何をしてるんだろうと考えたときに、実際にYouTubeで配信されているナミビアの砂漠のライブ映像のこと、それを自分が見ていた時期のことを思い出したんです。

山中:それで調べていたら、あの映像に出てくる水飲み場が人工的なものだと知りました。国立公園が運営しているチャンネルなんですが、あえて言い方を悪くすると、動物をおびき寄せて我々に見せてくれているんだと思ったんです。

世界最古といわれている砂漠で、ナミビアとは「何もない」という意味らしいんですが、「めちゃくちゃ人工的な介入がここにまであるじゃん!」と驚いて。チャンネルの収益が還元されて、土地や動物たちが潤うのは良いことだと思うんですが、見ている私たちはいつでも手軽に安全圏から見ることができて、癒されている。そうした距離感のズレに社会の欺瞞のようなものを感じて、この作品とマッチしていると感じたんです。

―距離感のズレですか。

山中:カナは身近な友達や恋人は粗雑に扱うけれど、少し距離のある隣人や、医師の話は意外と素直に聞けるところがある。でもそれは普遍的なことだと思うんですね。親の言うことはすんなり受け入れられないけど、よく知らない人のアドバイスには耳を傾けてしまうとか。
そうした他者との距離感って、ナミビアの砂漠の配信を見てボーッと癒されるときに、フレームの外のことは考えもしないということと近いのではないかと思いました。無責任だからこそ、遠いところに思いを馳せられるのかもしれないなと。でもこれは私が勝手に考えたことなので、観た人は自由に楽しんでほしいとは思います。

―カナと、隣に住む遠山ひかり(唐田えりか)が2人で焚き火をするシーンで、”キャンプだホイ”が聴こえてくるのが印象的でした。あれは脚本の段階であったのですか?

山中:じつはすごく奇跡的な話があってーーー。撮影前に焚き火の具合をチェックする時間があったんですが、そのときに美術進行のスタッフが、”キャンプだホイ”を口ずさんでたんです。でも私はその歌を知らなくて「何それ? マイムマイムじゃないの?」となって。その場にいた何人かのスタッフの半数は知っていて、半数は知らなかった。それで知っているスタッフがみんなで歌ってくれたんです。

山中:火に当たりながらそれを聴いていたらすごく良い歌詞で、しかもこのシーンと2人の関係性を物語るような感じがして、「絶対に使いたい!」とその場で思って。そのまま撮影が終わったあとに河合さんと唐田さんに「今これを覚えてください」とお願いして、その1発目を採用しました。2人とも初めて歌ったから頼りない歌声なんです。そんな歌声も含めて奇跡的にこの場面にハマってくれた。ラッシュを見たときに、このシーンで思わず泣いたんです。

手紙の内容が現実に!大ブレイク俳優・河合優実が憧れの監督作『ナミビアの砂漠』に出演して感じたこと
2024年09月06日 執筆者:斎藤 香
https://allabout.co.jp/gm/gc/505850/

――パンクだけどチャーミングというのは、『ナミビアの砂漠』のカナのようですね。カナ役についてはどのように考えて撮影に入りましたか?

河合:脚本に描かれているカナがとにかく面白かったです。
メチャクチャな行動に走ったり、人によって態度を変えたり。特にひとりで過ごしている時間のリアリティーがすごいと思いました。誰でも映画のカナのように、人の目を気にしないで過ごすだらしない時間ってあると思いますし、そんな無防備なカナの人間性を芝居で表現するのが楽しみで、撮影に入るのをワクワクして待ちました。

カナはいい子ではないし、悪いこともしているんですよね。人に嘘をついたり、暴れたり……。それでもカナの魂をキラキラと輝かせたいと思いました。ついカナに目がいっちゃうような、惹きつけられるような……。行動は過激だけど、魂はきれいで、いつもメラメラ燃えている。そんな輝きを持ったカナにしたいと思いながら臨みました。

河合優実「現場に行くのが本当に幸せだった」、最新主演作「ナミビアの砂漠」が公開(1/2)|ウォーカープラス
2024年9月6日 取材・文=奥村百恵
https://www.walkerplus.com/article/1215921/

――ちなみに「ナミビアの砂漠」で好きなシーンを挙げるとしたらどこでしょうか。

【河合優実】いっぱいありますけど…なかでも好きなのは、私が演じるカナが精神科医にオンラインで診療してもらっている時に、「自分のこと、わかりたいんで」っていうシーンと、金子大地さん演じるハヤシの家族のバーベキューに誘われたカナが、手土産を持っていこうとしたらハヤシから「持っていかなくていいよ」と言われて、「でも非常識な人だと思われたくない」って答えるシーンです。

自分のことがわからないカナだからこそ、観客の予想を裏切る言動をしてハッとさせるのですが、カナ自身も気付いていない自意識や社会性みたいなものがフッと言葉に表れる瞬間がすごくいいなって。この2つのシーンはぜひ注目してもらいたいです。

自由で、大胆で、創造的。『ナミビアの砂漠』の監督・山中瑶子が日本映画に新しい風を吹き込む | ブルータス| BRUTUS.jp
『ナミビアの砂漠』が初めての商業長編作となる山中瑶子さん。「自分が観たいものを作りたい」と語る彼女が作る作品に迫る。
2024.9.6
https://brutus.jp/namibia_yamanakayoko/

——カナを通じ、今回描きたかったのはどんな女性像ですか?
山中 20歳前後の年齢のときって、自分の奥底にふつふつと湧き出る感情を、うまく飼い馴らすことができませんよね。私自身がそうでした。でも最近、感情を静かに見つめられるようになってきたなと思って、私も成長したんだって(笑)。その変化を描きたいと思っていました。そういう意味では、そこに性差はない気がしますけど、ただ映画の中で見る女性ってあまり主体性のない役割を担うことも少なくないなと。そういうキャラクターにはしたくないということは、明確に考えていました。

「趣味も将来の夢も特にナシ。彼氏はとりあえずいて…」19歳でデビュー、史上最年少でカンヌ受賞した女性監督がとらえる“ふつうの女の子”像 | 文春オンライン
2024/09/05 「週刊文春」編集部
https://bunshun.jp/articles/-/73189

――ちょっと踏み込んだ質問をすれば、作中、カナが苛立って、ハヤシに「映画なんか観てなにになんだよ」と言うシーンがありました。同世代として(取材記者も20代半ば)、いくつも頷いてしまうようなポイントがある映画だったのですが、このセリフはとても本質的だと思いました。実際、同世代にも、映画館に行くことがなければ、ほとんど映画を観ないという人も少なくなくて……。

山中 そうですね。映画館に来て、座って、上映が始まってしまえば、それこそ「自分たちの話だ」と興味を持っていただけるぐらい力のある作品を作ったという自負はあるんですけど、やっぱり来てもらうまでがすごい大変で……。

 そういえば、以前に取材してくださった方に「この映画は、裏・『花束みたいな恋をした』みたいですね」と言われたことがあって、たしかにそうかも! と思いました。その人いわく「同じように現代を生きる若者の姿を捉えた作品でも、『花束みたいな恋をした』の主人公は、生きるうえで映画、小説や漫画などのカルチャーを必要としていた。『ナミビアの砂漠』の主人公はまったくそうじゃない。どちらの若者像もリアリティがあるし、表裏みたいだなと思いました」。『花束みたいな恋をした』は、もしかしたら普段は映画館に行かないような人も観に行った作品だったんじゃないかと思いますが、この映画もそれぐらいヒットしてほしいなあと思います。

それに撮影中、出来すぎなことがたくさん起きたんです。例えば、カナが働く脱毛サロンの最初に用意していたロケ地が、撮影開始2日前に急に使えないと言われちゃって。脱毛サロンがマイナスなイメージで登場することもあって、なかなか貸してもらえず、やっと見つけたところだったんです。でも、やっぱりごめんなさいと。最終的に脱毛メインではなく、いろいろな美容系の施術を行っているところを貸してもらえることになったんですけど、そこはロビーに大きな柱をぐるっと囲うようにパキッとしたオレンジのソファーが並んでいたり、施術室の緑の壁の色味だったり、SF感というか人工的な感じがあった。結果的にここで撮ることができてベストだったなと。

 映画の最後のシーンも、撮影しているときに現場の近くで火事が起きていたんですね。火元から100メートルぐらいは離れていて、距離はあったんですが……。カナとハヤシが向き合うなか、いつもと違う感じがするなと思ったら、うっすらと煙が充満していた。それで雰囲気もちょっと変わって、懐かしい感じというか、泣いてしまうような感じがあって。

はじめに河合優実ありき「ナミビアの砂漠」 山中瑶子監督が見せたきらめく才能 - ひとシネマ
2024.9.05 井上知大
https://hitocinema.mainichi.jp/article/interview-yamanakyoko-desertofnamibia

「ホン・サンスだけじゃない」初っぱなズームで「宣言」

映画の冒頭、ラフなロンT姿で歩くカナを、望遠レンズでズームアップし追いかける。撮影はJRと小田急線が通る東京・町田駅周辺。駅構内での撮影許可が下りず、苦肉の策で生まれたファーストカットは、映画に不思議なリズムを与えた。「俳優が歩くのは大丈夫だけれど、カメラは入っちゃいけないと。河合さんを近くで撮りたいのにどうしようと考えていたときに、『じゃあ、ズームすればいいか』とロケハンのときに思いつきました」

ただ、一般的な映画の文法から外れるスタイル。韓国映画の巨匠、ホン・サンスが多用する技法と見なされがちなことは自覚していた。それでも採用したのは「『ズームと言えばホン・サンスだよね』っていうのがちょっとわかんないなって。彼だけに与えられている(特権のような)現状が、気に入らなかったので。オマージュではないです」と、聞いていて気持ちいいくらいの反骨精神を見せつつ「一発目でズームをやることは宣言みたいなもの。その後のシーンでズームするハードルがぐんと下がる」と説明した。地元・長野から上京し、映画を学ぶために日本大学芸術学部に進学。しかし「授業の進度が遅すぎていつまでたっても映画が撮れない」と中退したというエピソードもうなずける。

カンヌでも評価を集める山中瑶子監督の初の長編映画『ナミビアの砂漠』「私たちの世代ならではの“今”が描かれている」 | クリエイターズステーション
2024.09.04
https://www.creators-station.jp/jobcat/broadcast/228777

——監督が好きだったシーンを教えてください。

カナとハヤシの都庁デートです。カナが紙パックの小さいジュースをチューチュー吸いながら目線を泳がせているのですが、そこがカナらしくて。都庁なのでスーツ姿の働き人たちがいっぱい歩いている中でのギャップが、とても面白かったです。

——今回は、画角が昔のテレビ画面を見ているようなスタンダードサイズを起用したり、ズームを多用したりしていますね。

この作品はカナを見る映画なので、サイズや撮り方にはこだわりました。カナは社会の情報量に疲れて注意散漫になっているのですが、どうしても通常サイズにすると見ている人もカナと同じくらいの情報を受け取ってしまうんです。そうするとカナの状態を適切に見ることができないと感じました。なので、カナの状態を見るには、さらにフォーカスしたサイズが適正だと思い、スタンダードサイズを選択しました。あと冒頭からズームを使用しているのは、カメラが近くで使用できないという環境的な要因もあったのですが、大勢の中からズームしていくと、どこか主人公感が沸いてきてこの人を見る映画なんだとわかりやすいということもあって。ストーリーではなく映像から、カナの状態を伝えられたらと思いました。

——町田駅をふわふわと歩くファーストカットが印象的でした。

ファーストカットは毎回よく考えます。ここからこの映画に2時間近く付き合っていこうと思ってもらわないといけないので。あと、今の若者を映すといったら新宿や渋谷を思いつきやすいかもしれませんが、そういう記号化されていない場所をあえて選びたかったというのもあります。町田という場所でよりリアルにカナを感じてもらえた気もします。

河合優実×山中瑶子 共鳴する二人の『ナミビアの砂漠』対談。脚本や衣装を“一緒に探す”映画作り – 装苑ONLINE
https://soen.tokyo/interview/yuumikawai240906/2/

――カンヌ国際映画祭用のポスターやメインビジュアルにもなったカルネボレンテのバックプリントのロングTシャツは、どのように決まったのでしょう。

山中:これはカナがファーストシーンから着ているものなのですが、このバックプリントにカナの性格がよく表れていると思い採用しました。これを選んでデートに着ていく女の子のパーソナリティが手に取るようにわかると感じたんです。映画の中では気づきにくいかもしれませんが、だからこそビジュアルで使ったら、人となりや作品の方向性が何となく伝わるのではないか、これを良いと思ってくれる人はきっと楽しんでくれる映画になっているはずという願いを込めて、あの形になりました。表面のロゴが入っている位置もちょっと上のほうで、それも面白く感じていました。

山中:本来は私がコントロールすべきところだったのに、率先して笑ってしまって(笑)。ケガをしているカナにハヤシ(金子大地)が魯肉飯(ルーローハン)を作ってあげるシーンが脚本上にはあったのですが、「ルーローハンができました!」というセリフの方向性が定まっていないまま金子さんに言ってもらった結果、CMみたいになってしまい、みんな耐えられなくて笑っていたことも。編集中に通して観たときに「ここだけ様子がおかしいぞ」となって、結果的に落としちゃったのですが。河合さんがその撮影時に「この組にまともな人はいないのか」と言ったという……(笑)。

【インタビュー】河合優実「ぼんやりしていることにコンプレックスを感じていた」夢や目標への考え方【エンタメ】
https://www.musicvoice.jp/news/277249/

――最後に『ナミビアの砂漠』を観た方に、どのようなことが伝わったら嬉しいですか。

 とにかく面白いものを自由に作ってみようという現場でした。不確定要素が多くて、道筋をしっかり決めてスタートしたわけではなかったんです。その中で私がひとつ思うことは自分が高校生の時に『あみこ』を観て、「こんなにも自由に映画を作っている人がいるんだ」と感じた気持ちを、『ナミビアの砂漠』で味わってくれる人がいたらいいなと思います。映画を観た後に「なんだこれは」と得体の知れないエネルギーをもらって元気になって、ワクワクして帰路についてもらえたら嬉しいです。

気鋭の映画監督・山中瑶子「多様な人が監督をできたらいいですよね」 | ananニュース – マガジンハウス
2024.8.2 取材、文・小泉咲子
https://ananweb.jp/news/563450/

「対外的にはこう振る舞わなきゃいけないとわかっている自分と、抱えている本当の気持ちが違うことは、きっと誰にでもありますよね。この作品ではその矛盾を扱いたかったんです。いわゆる王道のわかりやすい主人公キャラだけでなく、映画においては世の中には様々な人がいることを可視化することも大事だと思っていて。もし“こんなふうに思ってはいけないんだ”と、自分を縛っている人がいるなら、この作品を観て安心してくれたら嬉しいです」

【立田敦子のカンヌ映画祭2024 #09】国際批評家連盟賞受賞!『ナミビアの砂漠』山中監督×河合優実インタビュー。|Culture|madameFIGARO.jp(フィガロジャポン)
2024.06.06 映画ジャーナリスト 立田敦子
https://madamefigaro.jp/culture/240531-Namibia.html

山中 実は、タイトルはいろいろ変遷があり、"エメラルドゴキブリバチ"っていうひどいタイトルの時もあったんです。これはまあ絶対にあり得ないだろうっていう、前提でのタイトルですけど。基本的な脚本ができ上がった時に、"エメラルドゴキブリバチ"というタイトルではさすがに役者に見せられないから、とりあえず『ナミビアの砂漠(仮)』にしておこうって、変えたんです。

河合 『ナミビアの砂漠(仮)』という台本をもらいました(笑)

山中 でも、もっととっつきやすいタイトルがいいんじゃないかと撮影中も考えていて......。「いつもごめんね、大大大好き」という、これまたなんともいえないタイトルを出した時もあったんですが、最終的に出来上がったものを見たら、どう考えても『ナミビアの砂漠』でいいだろうって。カナは、友達とか彼氏とか親とか、身近な人をあまり大切にできない。でも、遠いナミビアの砂漠に対しては、安らかな気持ちで思いを馳せられる。そういうところって誰にでもあるな、と。実態がよくわからないもののほうが無責任に人は関心を持てるところがあるんじゃないか、とか思って。他にもいろいろあるんですが、ぜひ、お客さんがどう思うかも気になります。

「東京って砂漠っぽい」“愛の不毛”描く『ナミビアの砂漠』河合優実×山中瑶子監督インタビューinカンヌ映画祭【批評家連盟賞受賞】 | 映画 | BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!!
2024.06.05 ライター:#石津文子
https://www.banger.jp/movie/115647/

―21歳のカナはどこにいても、誰といても、どこか浮遊感があります。日本と中国のミックス・ルーツという設定ですが、カナの背景には監督自身の経験や、河合さんを想定した部分もあるのでしょうか。

山中:私は、母が中国人なんです。河合さんもミックス・ルーツだと過去のインタビューで読んでいたので、それをどう感じますか、みたいなことをざっくり話をしました。「あんまり所在がない感じがあるよね」と、この企画が決まってから最初に会った時に話したと思います。

河合:そうですね。

山中:ただ、カナのバックグラウンドについては、脚本を書いている後半で足したので、最初からそこありきで書いていたわけではないんです。でも、所在のなさと砂漠みたいなものは、無意識の中でどこかリンクしていたのかなとは思います。

―ランニング・マシーンで走るカナのインサートも印象的です。あれはカナの心のありようをビジュアル化したものなのか、それとも病院の中なのかな、なんて色々と妄想が膨らみますが、河合さんはどんなふうに捉えて演じていましたか?

河合:観る人によって捉え方が違うので、面白いですね。私は、ランニングマシーンから隣人との焚き火までのシークエンスは、ハヤシとの激しい喧嘩の中でカナが見た走馬燈のようなものなのかな、と思っていて。死んでいるわけではないけど、意識が別のところにあるというか、インナービジョンというように捉えていました。突然自分たちを客観視して、そこに今までの記憶とか言ってほしいこととか、生活圏で起きたことや自分の思っていることが一瞬のうちに混ざってしまっているような。夢って、最近見たことが違う形になって出てきたりするって言いますし、そんな感じにも思っていました。

でも、唐田えりかさんとのシーンは、カナのそこまでの時間の中で一番安心していいのだろうな、と感じましたし、ポジティブに捉えていいな、と思っていたんですが、実際の唐田さんご本人に独特なオーラがあるんです。だからすごく向き合いたくなるんですね。

山中:唐田さんは声も良いですよね。寄り添っているように聞こえて、同時に突き放されているようにも聞こえる。すごく良い声なんです。

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