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「イベリン:彼の生きた証」が救いだったという話

日頃お世話になっております。波瀬河です。
さすがに更新しないとマズイな〜とは思っていたんですが、気づいたら一ヶ月以上経っていました。

今回は最近見て、涙腺がぶっ壊れた作品をご紹介します。

こちら、Netflixで絶賛配信中の「イベリン:彼が生きた証」です。

若くして亡くなった青年の家族のもとに届いたのは、大勢の ゲーマー友達からのメッセージ。ワールド·オブ·ウォークラフトの世界で輝いていた青年の秘密の人生が、 いま鮮やかによみがえる。

Netflix公式サイトのあらすじより引用

ここからちょっと自分語りも含んでの感想です。
ご注意を!



「イベリン:彼の生きた証」を観た。深夜だった。
少し暗めの部屋の中でぐっちゃぐちゃに泣いた。嗚咽に次ぐ嗚咽。
インターネットに生きている、いや、生きてしまった僕らにとっての救いだと思う。

思えば、同じアカウントで10年以上SNSをやっているし、同じ名前で複数のゲームをやってしまっているのだ。
自分が生きてる年数の半分くらい、同じ名前でインターネットに潜っている。たぶんよくない。
そのくらい時間が経つと、10年以上会ったこともない友人というのがでてくるのだ。
顔も名前も知らない大親友だ。

その友人たちにとって自分がどんなにちっぽけな存在かなんて、とっくに分かってるつもりだ。
所詮、アカウントの削除ボタンひとつで切れる縁だとも思ってる。実際何人もそういう人いたし。

そんな中でこの映画はインターネットの人間関係が人生を変えた事例なのだ。
自分がイベリンのような人間だと思っている訳では無いけど。その可能性に縋ってみてもいいか?
自分のしょーもない小ボケで誰かが笑ってくれて、その顔も名前も知らない誰かが救われる未来を期待してもいいか?
僕はイベリンではないし、イベリンになれるとも思ってない。だけど、何か少し、ひとつでも、人を変えれるかもしれない。そう思うことにする。
それがインターネットに取り憑かれてしまった僕、そして僕らにとっての「救い」だ。
ただひたすらにそう思う。

「イベリン:彼の生きた証」を観ました。
とてもいいものでした。

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