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理由を探す旅に出がちな私の目的とは
今日は少し長いのであらすじはタイトルの通りです。ごめんなさい。端的に表現出来ませんでした。これなら多分読んだ方が早いです(泣)
* * *
この夏のパニ拗らせにつき、9月からリモートも出来る身になったんだが、その時々の理由で、出勤かリモートを選んできた1ヶ月だった。
今日は、体調に自信がないからリモート
今日は、行けそうな気がするから出勤
今日は、あの現場業務をしておきたいから出勤
今日は、缶詰気分でやっつけないといけないからリモート
今日は、顔出しておきたい気がするから出勤
今日は、出勤したけどしんどくなったから午後リモート
今日は、通院だからAM休んで午後からリモート
今日は、寝坊したしリモート
おい、ってツッコミたい気持ち若干ある。後ろめたいと感じる日は何度もあった。でも今まで自分を殺してやり続けた結果、壊れそうになって支障出たんだから。今は手を抜く時期なのだろう。体調不良を理由にリモート権限を与えられた身、最低限やるべきことさえやっていれば良いんじゃないだろうか。そういう面では今のところ負荷を感じずやれていると思っているし。騙し騙しでも働き続けていられるこの状況に感謝している。
* * *
体調面で助かったのは勿論なんだけど、その場に拘束されない行動の自由を得られた感覚にも助けられた。これまでの((ヤバ体調悪いなあ))の後に続く思考は…
帰りたいけど、もう少しすれば落ち着くかも(初期)
帰りたいけど、言うの面倒くさいな(ガマンしな)
帰りたいけど、こんなことで帰るのか?(ガマンしな)
帰りたいけど、またかって思われるのではないか(ガマンだよね)
帰りたいけど、帰りたいけどさ!(キレ気味)
症状のキツさでは「いやもう無理…」となってメンタルぐしゃぐしゃになって帰る感じ。そして自責。この思考なら当然だよね、ガマン出来なかったんだから。それはそうなる。で、今は、
「帰ってリモートしよ(完)」
これなんだよ。これ。ガマンタイムがほぼないのと、帰っても仕事が出来るので申し訳ない感がそこまでない。場所変えて仕事してきますわ、そんな感じだ。
とはいえ、救済措置に助けられているというだけなので。私の思考癖の課題は残ったままだ。何となく、2番目の「言うのが面倒くさい」が根が深そう。今日は深堀りやめておく。いつかまた思うことが出来たら書く。
* * *
で。今朝は選ぶ理由が無かった。体調も悪くない、仕事はどちらの環境でも問題ない、特段縋る理由もないなら出勤になるよね。そう思って支度していたが、玄関に向かう段階で
「今日はリモートするか」
を選んだ。理由はさほどない。いや多分少し探れば選んだ理由はきっとある。「ちょっともたもたしてしまったから」「差し迫った仕事もなかったから」「合間見てスーパーに行きたい気持ちがあったから」等々。でもこの類いの些細な欲はこれまでもあったと思う。これに勝る正当化しやすい理由が掲げやすかっただけの話だ。
先月は掲げやすい理由があって選んでいた。やむを得ずみたいな選択の仕方だった。何なら自分の為に理由を掲げていた。理由があると安心する。自分を正当化できるから。
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でね、今日何が言いたかったかというと。掲げやすい理由がなかったということは、逆に言えば「安心を感じている」という解釈は出来ないだろうか。だって正当化する理由を必要としない、ってことじゃない?どうなの?どうなんですか。
これもやっぱり救済措置による恩恵だと思っているので、この環境失ったらまた私は理由を探しにいくんだろう。でも今だけはこのぬるま湯に浸って安心を堪能させて頂く。ああ一生こうしていたい。
* * *
これを書きながら読んでる人にどう思われるんだろう…ってややビビりながら書いてる節ある。色んなdisが思い浮かぶが、これは自分が自分に言っている声なんだろうと思う。私はまだ私を監視している。まだまだ自分縛り感が拭えないが、選択するための理由を掲げなくてもいいと感じてきた今月の私はどう変化していくんだろう。