伊勢神宮 内宮と外宮
新年。伊勢神宮には、多くの人が参拝に訪れます。
今回は、地元の人にとっては常識、他県の人はあまり知らない?「内宮」と「外宮」の話についてです。
内宮と外宮
伊勢神宮には「内宮」と「外宮」があります。
内宮(ないくう) :天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(こうたいじんぐう)
外宮(げくう) :豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
それぞれ伊勢市内ですが、車で10分くらい離れたところにあります。
外宮→内宮の順にお参りするのが通例です。豊受大御神は産業の守り神でもあるので、商売をしている人は、特に外宮へお参りに行くようです。
伊勢市の商売人は、毎月1日や15日に、神宮へ早朝参拝へ行く人も多いです。
内宮と外宮の間の歓楽街:古市
そして、内宮と外宮の間にある、かつての歓楽街が「古市(ふるいち)」です。
現在の参拝客は、古市を通らず、外宮から車やバスなどで、内宮へ向かいます。
「おかげ参り」が盛んだった江戸時代は、古市の街を歩いて内宮へ行きました。
外宮へ参ったあと、外宮付近(山田)または古市の宿に泊まり、古市の遊郭で遊びつくし、内宮へ行く頃には、すっからかんになっていたとか・・・・
または、内宮参りの後、「精進落とし」として古市へ遊びにいっていたそうです。
江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊廓の1つに数えられていたとも聞きます。(ほんとかな?とも思いますが)それくらい多くの遊女や芝居小屋、参拝客でにぎわっていたようです。
「油屋騒動」や「間の山 お杉お玉」など、その頃の逸話や伝説が多く残っています。
現在は、唯一、「麻吉」という木造の旅館が当時のままの姿を残し、営業を続けています。
内宮と外宮の門前町が戦争!?
ちょっとショッキングな見出しですが、内宮の門前町:宇治と、外宮の門前町:山田は、上記のような事情があり、昔から対立が多かったようです。(上記より時代は古いですが、特に戦国時代に度々争いがあったようです。
)
立地的に、利益が多く、経済的に発展していたのは山田の方で、もちろん、宇治がそれを好ましく思うはずはありません。
争いで、犠牲者が出たり、正殿が放火されたりするようなことも。北畠氏が宇治側に参戦した時には、かなり大規模な合戦になったようです。
(ちょっとここでは書ききれないので、興味のある人はいろいろと調べてみてください)
私は図書館で歴史を調べていた時に、この事実を知り、驚きました。(どの時代や地域でも、争いごとはあるものなのですね。)
ここまで読んで頂きありがとうございます。
読者の方からしたら、神聖な話かと思いきや、俗な話や、血なまぐさい話になってしまいすみません。
このほか、伊勢の歴史としては、「御師」「河崎の街」や「大湊の商人」などの話が個人的に好きです。
また機会があれば、記事にしていきますね。