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第9話 東方の賢者とSPARK AGAIN

 リビングルームに入ると、ソラちゃんがソファの上であぐらを組んでいるのが見えた。手には羊のマグカップ。BGMはクラシックではなくてこれは、Aimerの「SPARK AGAIN」か。「炎炎ノ消防隊」シーズン2のオープニング。ソラちゃんがテンションを上げたくなったときによくかける曲だ。

 僕は出来るだけいつも通りの口調で声をかけた。

「ただいま」
「おかえり」

 一瞬の間。

 二人の目が合う。

 ソラちゃんの表情からは何も読み取れない。僕はキッチンカウンターの上に買ってきた食材を置きながら、次の一言をどうしようか考えた。でも気の利いたセリフは出てこなかったので、ストレートに尋ねることにした。

「どうだった?」
「どうだったって?」
「「賢者のセックス」、消されちゃったんだよね」
「まあね」

 ソラちゃんの表情に変化は無い。

「せっかくいい位置にいたのに、残念だったね」
「ま、カクヨムはそういうところだってことがわかったのが収穫かな。角川源義の「角川文庫発刊に際して」なんて読んだことが無い人しかいないんじゃないの? 文学じゃなくてコンテンツビジネスやってるんだって感覚なんだと思う」
「好評だったのにね」
「ちょっと高尚過ぎたのかもね。純文学系の文芸誌なら普通過ぎるくらい普通でしょあんなもの。なんだっけ、古市憲寿か。あの人がポッと書いて芥川賞候補になったやつ、もっと露骨でもっと下品だったよ。遠野遥が芥川賞取った後に書いた「教育」もひたすら下品で露骨だったし。実は紙の方が文学に関しては自由なのかもってちょっと思ったね、うん。ま、人を傷つけるようなセックスを誇張して書いたら文学的だみたいな発想は陳腐だと思うけどね」

「ウェブ小説サイトは?」
「R18設定があるのは「小説家になろう」とアルファポリスと、Pixivかな。カナダのWattpadってとこはMatureってレーティングでセックスについても書ける」


「ワットパッド?」
「そう。小説投稿サイトとしては世界最大手の一つだと思うよ。中国系はまた別の世界だからよくわからないけどね」
「そこは英語だけなんじゃないの?」
「48言語対応。もちろん日本語も対応。ユニークユーザーは5億人。ここからランダムハウスやハーパーコリンズにスカウトされた作家もいるよ。ちなみに「小説家になろう」のユニークユーザーが1400万人」
「桁が違うね」
「カクヨムはもっと少ないね。ユニークユーザー1000万はいかないと思う」
「そんなですか」

 ソラちゃんはここでようやくふっと息を吐き出して小さく笑った。

「日本のウェブ小説サイトはライト文芸やライトノベルに特化して発展してきたからね。ちょっと特殊なサブカルチャーだね。そこに「賢者のセックス」は合わなかったってことじゃないの? もうしょうがないよ」
「どうするの、これから?」
「今日はとりあえずPixivに最新更新分まで全部アップした。あとnoteにも。楽しみにしてくれてる読者がいるわけだから、カクヨムから消えました、さようなら、ではね。私の仕事のやり方には合わないね。ビジネスを新しく立ち上げてるときって、一人ひとりのお客様を大切にしないと。その辺は散々苦労したからね」

 そうだった。ソラちゃんは東大を出て大手のコンサルティング会社に勤めてから独立起業した人で、最初はかなり大変な思いをしたらしい。

「もうビジネスが回る仕組みが出来上がった後の会社しか知らない社員だと、なんだよこのユーザーめんどくさいから切っちまえって簡単に考えるんだけどね。私には出来ないな。そんな仕事のやり方をして人生を過ごしても面白くないと思う。どうせなら感謝されたいもん。だからとにかく今日は「賢者のセックス」を読めるようにした。その先のことはこれから考えるよ。もうワットパッドで英語で連載しようかな。日本語のウェブ小説サイトはラノベを読む場所ってことになっちゃってるから、私たちの小説は無理って気がする」
「お疲れ様でした。ケーキ買ってきたよ。ウィーン風のチョコレートケーキと抹茶ロールとラズベリータルト」

 僕は近所で買ってきたケーキをダイニングテーブルの上に置いた。ソラちゃんがにこりと笑った。

「マジャイの贈り物だね」
「えっ? マジャイ? ケーキだけど」
「東方の賢者。知ってるでしょ? あれ、英語だとマジャイって呼ぶから」
「メルキオールとカスパーとバルタザールのこと?」
「そう、それ。今ではその三人ってことになってるけど、もともと聖書には人数は書かれてないんだよね。人数も名前も地域によってバラバラなの。金と乳香と没薬を贈り物として持ってきたってところから、三人だっただろうって話になったんだけど、それだってキリストが死んで何百年も経ってから出てきた話だしね。よくわからないんだよ。例によって。でも、星に導かれて賢者が贈り物を持ってやってきたなんて、めっちゃファンタジー」
「たしかに」

 僕はリビングルームの隅に飾られている人形たちを見た。飼い葉桶の中のキリスト、それを見守るマリアとヨセフ、そして三人の賢者たち。ベレンというらしい。スペインではこの季節になるとどこの家でもこのベレンを飾るのだとか。ソラちゃんはクリスチャンじゃないはずだけど、聖書は英語で丸暗記してるしベレンも飾るのだ。

「キリストの生誕を告げた星が何だったのかは諸説あって、超新星爆発とか、彗星とか、木星と土星の接近とか、ま、本当のところは謎なんだけどね。でも、西の空に輝く星を追いかけて旅をするってどんな気分だったのかな?」
「マジャイさんが?」
「そう。マジャイさん。賢者。君だったらどう?」
「そうだなあ、僕だったら……」

 僕が導かれたのは超新星でも彗星でも木星と土星でもなくて、ソラちゃんの心の中に輝く星だった。あの半年間の気分か。

「ワクワクしてたと思うよ。これから何が始まるんだろうって」
「だよね。きっとそうだよね」

 ソラちゃんがチョコレートケーキを自分の皿に移しながら相槌を打つ。

 僕は二人分の紅茶をいれる。もちろんこんな時にはトワイニングのレディ・グレイ。

 そして僕たちの旅は続く。空に輝く星が見えなくても、僕たちの心の中に輝く星が僕たちを導いてくれるだろう。

 メリークリスマス!



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