憧れずにはいられない
ハッ!2024年なんてまだまだずっと先のこと!と鼻で笑っていたパリ五輪が開幕した。え、最近の時間の流れ早すぎね?と激しく動揺してしまい、開幕したばかりなのに閉幕したときの喪失感を妄想、ココロの準備まではじめる始末。スポーツ観戦が大好きなので、五輪が終わったらサヨナラ満塁ホームランを浴びたピッチャーのようにがっくりと両膝をつきなんなら両手もついてうずくまってしまうだろう(心情的に)。甚大ながっかり感に耐えられそうにない。しかしわたしがクヨクヨしているうちにバレーにバスケに水泳に柔道に体操に、と矢継ぎ早に競技ははじまってしまった。なんなら金メダルも出た。クヨクヨしている場合ではないのである。
早く走ったり遠くまで走ったり飛んだり跳ねたりくるくるまわったり、打ったり捕ったり投げたりするありとあらゆるセンスが壊滅的なので、それができるひとたちというのはもうそれだけでカッコいい。どの競技を観ていても等しくすごいと思う。何故そんなことができるのか。
体操で言うと鉄棒でカッシーナとかコバチとか跳馬でロペスとかリ・セグァン2とか見て、それが自分にできると何故思えるのかからしてわからない。伸身だったり抱え込んだりひねりをくわえたりして前方に後方に何回転もした挙句ビタァ!と着地するとか一体どうなっているのか不思議でならない。
ビタァ!と着地できなくて大きく飛び出せば減点だ。床の演技の途中でそんなことになったら、わたしだったらもう平静を保てない。気持ちを切り替えることができずにあっちでも飛び出しこっちでも飛び出し、減点に減点を重ねるだろう。鉄棒で途中落下したら失意のどん底から抜け出せない。再開しても最後まで悪いイメージしかできずにトカチェフで落下、コールマンで落下、離れ技のたびに落下、目も当てられない結果になるに違いない。気持ちが弱すぎる。身体能力以前にメンタルからしてわたしはアスリートにはなれない。「チッうるせえなあ反省してまーす!」と記者会見で言えるくらいじゃないとダメなんだろう、きっと。だからこそ強い気持ちで挑み続ける彼らに憧れずにはいられないのかもしれない。
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