手帳会議の季節④〜大都会〜
手帳は(雑に)自作すると何かにつけて宣言じみたことをさんざん申し上げているにもかかわらず、LOFTでロルバーンダイアリーコーナーをめざとく見つけるやいなや猪突猛進、
キープ的な意味でしっかり購入した。何年か前に何かの雑誌でそのスジを名乗る方々が手帳を評価するみたいな記事を読んだのだが、ロルバーンダイアリーは「手帳ではなくノートだ」と否定されていた。……デスヨネー。確かにほぼほぼノートかも知れない。いやもうどこからどう見ても全面的にまごうことなくノートですすみませんでした。だとしてもそこは「非常に自由度の高い手帳」とか「とにかくメモを取るひとにはうってつけ」とかモノは言いようだと思うのだった。おかげさまで後々ノートとして使えるし、何より表紙が魅力的なので毎年必ず買っている。何冊も買っている。なんなら10月はじまりも4月はじまりも買っている。毎年のように「持ってるロルバーン自作雑手帳化計画」をニヤニヤしながら企てたとて、
ダイアリー(の表紙)は強すぎて抗えないのだった。ダイアリーのリングは正直デカすぎるのでロルバーンLのリングと差し替えて「2020」とかの年号も特に気にせず使っている。
さて、せっかく大都会にしかないLOFTにはるばるやって来たのだから、
地元では見かけることすらかなわないかわいいロジカルノートを、みすみすスルーするわけにはいかなかった。地元は朝ドラの舞台にはなったがLOFTはないのである。朝ドラの舞台にはなったが(自慢)。見たことも聞いたこともないノートやらペンやらシールやらが無限に並んでいるLOFTでよろこびに満ちあふれない、そんな感受性が欠落したさみしい人間にわたしはなりたくない。交わす言葉は寒いかもしれないが、LOFTがある大都会を心底うらやましく思う。まあ、大都会であれ山菜採りに歩いて出かけられるような自然豊かな土地であれ、どこに住もうとも、むしゃくしゃしてはノートを買い、むしゃくしゃしなくてもノートを買う。どのみち買う。何が何でも買うのである。これもさだめと生きてゆくしかないのだろう、きっと。