大熊町の空間放射線の定点観測地点と福島第一原発の原子炉建屋から100メートル離れた高台の高線量地点について
東京電力福島第一原発から噴き出した高濃度の放射能汚染によって人口が激減した福島県内の12市町村。その被害地をめぐる「フクシマ・スタディ・ツアー」が2022年6月18日〜20日に実施された。(主催者/大城龍氏 沖縄県在住)
私はそのスタディ・ツアーに参加した。ガイドはフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏。強制避難になった被害地について著書やnoteで11年間報告しつづけている。
スタディツアーの参加者は4人。沖縄(1人)、埼玉(1人)、東京(2人)から参加した。2泊3日のスタディ・ツアーでは福島第一原発が立地する大熊町、双葉町をはじめ富岡町、浪江町、飯舘村を中心にめぐった。ガイドの烏賀陽氏には一人25,000円の参加費(謝礼)をお支払した。(4人/合計10万円)
◇フクシマ・スタディ・ツアーの感想/2022年6月27日公開
◇2022.7.8 ウガ金 スタディツアー参加者は福島第一原発事故被害地で何を見たのか・座談会
◎4.09マイクロシーベルトを計測した大熊町の定点観測地点
東京電力福島第一原発の1号機から4号機は大熊町に立地している。原発直近の大熊町は町内の線量を毎年定点観測して町のウエブサイトで公開している。その計測地点のひとつに「ポポロ西JR跨線橋西端」という場所がある。(紫54番) 福島第一原発から直線距離で西におよそ2キロの地点だ。原発事故による汚染がもっともひどい一角である。その高線量の汚染地帯を自動車や列車が往来している。
大熊町が公表しているこの地点で実際に空間放射線量を測定してみた。4.09マイクロシーベルトだ。これは原発事故発生前(0.04〜0.05)の81〜102倍である。
空間放射線量が下がっているのは、放射性物質が風や雨に乗って自由に移動したり、雨水とともに地面に潜ったせいだろう。
しかし金属ゲートの奥にはJR常磐線の「特急ひたち」が走行し、仙台から上野・東京・品川まで毎日3往復している。この線路上には放射性物質のチリを防ぐシールドがあるわけではない。まして列車が通過すれば、強い風によって放射性物質を帯びたチリは自由に舞い上がる。
それが現実に起きることを考えれば「除染済みの線路敷地内に放射性物質は一粒も入らず、車両に放射性のチリは付着しない」と考え、2020年3月14日にJR常磐線を全線復旧させた日本政府の国策は、非現実的な前提に基づいているといえるのではないだろうか。
◎原子炉建屋から100メートル離れた高台では放射線防護は不要なのか
フクシマ・スタディー・ツアーのスタート地点の富岡町には「東京電力廃炉資料館」が立地している。事前予約制・無料で見学できる。私は現地で撮影した写真を整理しながら廃炉資料館をインターネットで検索してみた。すると、そこには福島第一原発の「廃炉事業の現状」の解説動画が公開されていた。
◇東京電力廃炉資料館へようこそ/東京電力ホールディングス株式会社・2019年5月9日公開
解説映像を見ていると1枚の写真に目が止まった。
解説者は廃炉作業中の福島第一原発の構内についてこのように述べている。
しかし女性の右側には、水素爆発によって吹き飛んだ建屋に円形のカバーを取り付けた3号機が写っている。そして左側には、福島第一原発から北西30〜50キロにある飯舘村をはじめ、福島県浜通り地方に高濃度の放射性物質の雲(プルーム)を飛ばす発生源になった2号機が写っている。それらが背後にあるこの場所は作業員が被爆を強いられることはないのだろうか。
さらに東京電力は福島第一原子力発電所の「廃炉の現場」を案内するバーチャルツアーをホームページで公開している。
ガイドの案内をもとに1号機から4号機が見える高台に向かってみる。
この場面をバーチャルツアーではこのように解説している。
解説映像の左下にはこの付近の放射線量を表示している。その数値は「110マイクロシーベルト」である。これは原発事故前(0,04〜0,05)の2200倍〜2750倍である。現場を訪れた見学者は短時間でこの場所を去るのだろう。しかし目の前には溶け落ちた核燃料が残る原子炉建屋があり、内部は人が入って直接作業ができないほどの猛烈な高線量を放っている。1号機から3号機の圧力容器や格納容器には穴やヒビが入り気密性は保たれていない。そのような場所から100メートル離れた場所で現地視察者に対して解説を行っている。
◎核燃料がアイスクリームのように溶け落ちるほど高温になった原子炉
次は発電所敷地の北側、双葉町内に立地する5号機の内部を見てみよう。5号機は敷地の標高が高かったため津波による甚大な被害は免れた。現在は廃炉が決定しており核燃料は使用済み燃料プールに保管されている。バーチャル映像では、原子炉圧力容器を真下から見ることができる。そこには天井に向かって伸びた金属棒が規則的に並んでいる。核分裂反応を停止させ中性子を吸収する「制御棒」だ。原子炉の緊急時にはすべて挿入される。
福島第一原発の1号機・2号機・3号機は核燃料が溶け落ちるメルトダウンが発生した。核分裂時に発生する崩壊熱を冷やすための注水ポンプの電源が津波によって破壊され、高温になった原子炉が冷却機能を失ったためである。冷却水の喪失により炉心溶融した原子炉内は、制御棒だけではなく核燃料がドロドロになって溶け落ちるほどの高温になった。
これはロボットを使用して原子炉格納容器の底に溜まった堆積物をつかんでいるところだ。輪郭や大きさ、実際に動かせることを確認している。しかし1号機から3号機に残る燃料デブリの総量が推定880トンに上ることを考えると、ここに映っている核燃料の残骸は「歯ブラシでこすった程度」の量なのではないだろうか。
「核燃料と純鉄の融点」そして「メルトダウンが発生した理由」をスタディツアーのガイド・烏賀陽弘道氏は以下のように詳述している。
◎住民の被爆を防ぐために老朽化した原子炉は真っ先に廃炉にする
1999年9月茨城県東海村で発生したJCO臨海事故。その後、日本の原子力防災体制の法律や施設が整備された。しかし原発の敷地外に放射性物質が漏れ出し住民が被爆するシビアアクシデントに日本の法律は対応できていない。まして原発事故発生時に経済的損失を恐れて廃炉を躊躇すれば事態は悪化してしまう。住民が被爆することを防ぐために、原発事故のような過酷事故の発生時は老朽化した原子炉は真っ先に廃炉にするべきだろう。
『原子力防災ー原子力リスクすべてと正しく向き合うために』(創英社/三省堂書店)の著者・松野元氏は、福島第一原発事故発生時の原子炉の廃炉について烏賀陽氏のインタビューで以下のように語っている。
福島第一関連の処理費用について烏賀陽氏は以下のように詳述している。
いまなお事故収束の展望が見えない福島第一原子力発電所。日本の原子力発電所で発生する事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、被害を大きくしたことは否めないだろう。しかしそれが世界に誇る経済力や技術力を謳っていた現在の日本なのだろう。
【参考文献】
◇烏賀陽弘道『福島第一原発事故10年の現実』(悠人書院・2022年)
◇烏賀陽弘道『完本 福島第一原発メルトダウンまでの五十年「第二の敗戦」への二十五時間』(悠人書院・2021年)
◇烏賀陽弘道『原発難民 放射能雲の下で何が起きたのか』(PHP新書・2012年)
◇松野元『原子力防災 原子力リスクすべてと正しく向き合うために』(創英社/三省堂書店・2007年)
2022年8月7日 記
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