(詩人としての密かなつぶやき) 愛されていないのかしら 反応が欲しくて愛情表現をしているつもりはないのだけれど どうでもいいのかしら さみしい、せつない、あまえたい などと いう甘えばかりを この春が言わせる あこがれのあのひとは 走り続けていて 眩しくて なんとかして追いつきたい いまからスタートをきって あとを追って 間に合うのかどうかもわからない けど スタートをきらなければ なんにもはじまらない 追いついて捕まえる、 そんなチャンスもおとずれないだろうから
愛する人と余生をずっと一緒に過ごし天命を全うするまで寄り添いあって、お互いの死をどちらかが看取るまで穏やかに時に喧嘩しながらも、共に生きることが、結婚ということならば、生活保護制度を利用して暮らし、さらに精神障がい者なるわたしという女には、 どんなに愛する人があってもそしてもし未だ相思相愛であるにしても その結婚という選択は 憧れてはいても相手あることであるし わたしという女は選択できない、しない方がよいのかもなどと ひとり気持ちが沈んだ日曜日の夜に、思うのである なぜなら、
君に嘘をついた 君も嘘をついた 君が嘘をついた 春の夜 日課 毎日同じことを 散歩 コーヒー もっと寄り添ってみる 部屋を暖かくして 我慢せず暖かくして 嘘のない人生 正しい履歴書
x=自分が偉人になってから 父のことを書くのは、x話すつもりだった。 父に関することを書きたいので、 父にまつわることをここにメモしていきたい。 父はまだちゃんと生きていて、 最近は父に会えてない。 父と、 母と、 それぞれについて描くことができそうだ。 いまは、ちょうどいい距離感に自分がいることができているから 悩むことなく悩まされることなく自分は生きれている それは幸福なことだ。 自分の生い立ちや人生を書くことは わたしには難しく感じるが それでも書きたいという衝動は
山田の子を産んでたら確実に、人生は変わった。 わたしは、生きているだろうか? ここからは、感覚的にことの成り行きを書いてゆくので、それが事実か虚偽であるかの詳細については求めないでほしいです、読者の皆さまへお願い。 わかんない。 別に山田のこと、好きではなかったし、 元々知り合いでもなかった で、わたしは「事故」で 妊娠した あほみたいに、ばかみたいに、うそみたいに、あっさりと おそらく殆どの人間が子どもを授かったと知るまでにある程度のタイムラグをひつようとす
「親離れできない私のために」 家族の誰かに会うまえに 最近はメモ紙に心が落ち着くまで次のことを繰り返し書くようにしている F→K→T→M F→K→T→M F→K→T→M そうすると不思議と気持ちが落ち着くことに 気が鎮まることに気づいたから。 昂ってしまう。自動的に昂ってしまう。 なぜか家族の誰かと会うことになると、勝手に気持ちが昂って鎮まらない 不安、伝わるのかという不安 伝わらなかったらどうしようという不安 上手く伝えなくてはという緊張 上手く伝えることに失敗したら
2020年6月1日 「働いていない人」「職につかない人」「無職」を公言して生きてみる、しばらく。 療養中、という言葉を無職と置き換えてみる。自分はつらくなるのか。つらくならないか。攻撃の対象となるのか、ならないか。 対外的なことは横において、活動の指針を書いておこう。 自分は働いていません。 定職についてません。 無職です。 それでも街に出ています。 生活があるからです。 見かけたら人をたすけます。自分にできる親切をします。自分が持病によって、不調を街なかできたした場合