家族ってなに VOL.10 〜鍵っ子〜
小学校編
小学校に入っても祖父の家と店の往復は変わらなかった。
小学校に入ると、習い事(水泳)も始め、学校、祖父の家、店と忙しさは増した。
小学校に入り生活スタイルも大きく変わったが、母は決して私たちに家の鍵を持たせなかった。
所謂「鍵っ子」には決してさせなかった。
短縮授業などでお昼前に授業が終わったとしても、鍵は渡さなかった。
私と姉は母が迎えに来るまで自宅マンションの駐車場で母の迎えが来るのをひたすら待った。
10分の日もあれば30分、1時間の日もあった。
(今考えると、不審者の遭遇もほとんどせず、無事にいられたのは本当に奇跡だったと思う。)
母は仕事の合間を塗ってエプロン姿で毎回迎えに来ていた。
いつも来て「遅いよ」と文句ばかり言っていたが、それは寂しさと恐怖、申し訳なさと感謝を表現することができなかった私の精一杯の訴えだった。
通常授業の時も仕事が終わらなければ待たされる事も多かった。
時には一人で待つ事もあった。
小学校低学年の10分は本当に1時間にも3時間にも感じられるほど長かった。
待っている間はいつも、誰か怖い人が来たらどうしよう。
警察呼ばれたりしないかな。
可哀想な子って思われてないかな。
怖いよ。寂しいよ。
それしかなかった。
それを紛らわすために本を読み、一人遊びをし、自分を守ることに必死になった。
鍵を持てばすぐ家に入れ安心できるかもしれない、
でも、母は決して持たせなかった。
理由は無くされるのが怖いから。
母の選択は一理ある。
でも、それが正しかったのかは今だにわからない。
鍵っ子がまだ特別視されていた時代、特別視されないためにも母の選択がよかったとも思うが正解はわからない。
ただ言えるのは本当に危険なことが起きなかったことは奇跡だ。