家族って何? Vol.14 〜勝手につけられたレッテル〜
小学生になると家で姉と付帯だけの留守番の頻度は学年が上がるにつれて多くなっていった。
小学校3年生ごろになると、授業参観を断ったのと同じ頃から祖父母の家の往復、自営の店舗の楽屋で仕事が終わるのを待つことが無くなり、家で姉と二人留守番をすることが多くなっていった。
17時〜21時過ぎくらいまで子供2人で家で過ごすのが当たり前になっていった。
なぜこうなったのか。。。。
私たち姉妹が大きくなるにつれそれなりに友達と遊んだり、習い事をしたりと忙しくなっていったのと共に往復するのが億劫になっていった。
母も祖母からいろんな事を言われ続け嫌になってきて、自然と祖父母の家から足が遠のき土日のみお世話になることになった。
小学3年生。料理は少し教えてもらっていたが、包丁を使うこと。火を使う事は流石に2人だけでは危ないと使用は禁止されていた。
ご飯は母が用意したおかずがお皿に盛られていた。
大体、魚や肉の炒めものと冷凍食品の副菜。とインスタントの味噌汁。
ご飯は炊飯器にある。
それをテレビを見ながら一人で食べる。
それが、私たち姉妹のルーティン。
でも、食事を用意するのも忙しくて母はできなくなっていった。
カレーやシチュー、冷凍食品、お店の弁当の残り。そんなメニューになっていった。
正直育ち盛りの子供の栄養が考えられたメニューとは言えない偏ったメニューばかりだった。
でも、そうなるにも理由があった。
仕事をしながら子供の為に途中で帰ってきてご飯を作り、また仕事に行き、帰ってきて父のご飯をまた作る。
自分(母)の食事も22時ごろに簡単に済ませるだけだった。
そんな母の姿を見て私は母が哀れに思えてしまった。
だから、自分が料理できるように慣れば母は楽になれる。
自分で自立しようという気持ちが強くなった。
小学校4、5年生になると包丁も、料理も問題なく作れるようになり留守番の時も火を使っていいという許可が出た。
火も使えるようになった頃から母が私たちに作る夕食の回数も減って言った。
その分私が家族の為に作るようになっていった。
これを周りは自立してるね。偉いねという。
でも、私は自立しているという感覚はなかった。ただ、家族の為に頑張りたかった。
「ありがとう」「美味しかった」と褒めて欲しかった。
ただ。認められたかった。必要とされたかった。
でも。そんな思いは気付かれることもなくただ日々が過ぎていった。
周りから勝手に自立しているというレッテルを貼られそれに応えなければならないと思いが強くなったのもこの時期からだ。
この周りからのレッテルに今も昔も苦しめられるとは知らずに、・・・
いつの間にか自立ではなく「一人でやること」が義務になって自分を追い詰め苦しめる習慣になっていった。