家族ってなに? VOL.8 〜祖父母との関係表と裏〜
〜祖父母との話〜
両親が一緒にいる時間がない分、祖父母といる時間は多かった。
人生初の体験はほとんど祖父母と体験した。
映画もプールも海も
楽しかった、でも祖父母と来ている自分がどうしても恥ずかしかった。
みんなはお父さんとお母さんと来ているのに「なんで私は・・・・」
そんな思いばかりが巡っていた。
祖父母と叔母は両親といる時間がない私たち姉妹が少しでも不便に思わないようにと気を遣ってくれた行動であるのに当時はそれに感謝できなかった。
年金を私達姉妹のために使っていてくれたのに、、、
祖父母は孫である私たちにも厳しくするところは厳しくされた。
食事中に喧嘩したら祖父に怒られ、拗ねてご飯を食べることを放棄したら「食わんでいい」って本気で怒られた。
幼稚園の頃から祖父は怖い存在でそんな祖父に反抗することも多かったため泣いて拗ねることもあったが、そんなときは必ず祖母が守ってくれた。
「おじいちゃんは怒っておくからね」
「ご飯食べなさい」
「デザートもあるからね」
そうやって飴と鞭を上手い事使われながら育った。
当時は”何でこんなに怒られんの?”
”私のことが嫌いだから?”
”孫のことを可愛がるのが祖父母じゃないの?”
って思って嫌いになった時期もあった。
でも、成長してからは「ありがとう」と思えるようになったし、時代も変わったお陰で当時の自分を恥ずかしい、可哀想と思うことは少なくなった。
祖父母のことをそこまで嫌いになることはなかった。
今のように、拗れて、修復不可の関係になるまでは。
祖父母の元で預かってもらっているとき毎度、唯一嫌いな時間があった。
それは、母が私たちを迎えに来たときだ。
なぜかって?
温厚で怒らない祖母が唯一怖くなる瞬間で
母に対して文句を言う時間だからだ。
子育ての仕方。洗濯の仕方。両親の喧嘩の内容。なぜこんな遅くまで子供を預けるのか?早く仕事を終わらせられないのか?どこにも連れて行かないのか?
小言ではあるがそれは鋭い槍のように母の心に刺さっていた。
車に乗った瞬間に聞く母のため息。
何にも言い返せない母は、そのまま言われ続けるだけだった。
祖父母は親のように厳しくも育てらつつ、いろんな所に連れてってもらい、家でも手作りの温かいごはんを食べれる唯一の場所であったが、祖父母の垣間見る言動が人としてどうなのかと疑う部分も多かった。
祖父母には感謝している部分も多い。
祖父母のことは好きな時もあった。
でも、垣間見る人としてどうなのかという疑う部分が成長するにつれ大きくなり祖父母とは自然と距離を置くようになるのだった。