家族って何 VOL.7 〜幼稚園運動会拒否〜
〜幼少期編〜
幼稚園も嫌だった。
特に運動会なんて嫌すぎて1回しか参加しなかった。
家族もこない、知らない大人に見られて、大きな音が鳴り響いて本当に嫌だった。
だから、幼稚園に行く前にギャン泣き。親が手を引っ張って連れて行こうとしても拒否。泣きわめき手もつけられず休んだ。
唯一参加したのは、年長の時。
でも、覚えているのは終わった後に教室の隅で一人で体育座りをしながら泣いていた記憶。
先生もなぜ泣いて拗ねているのかわからず、対応できなかった記憶。
英語を教えにきてた外国人の先生からクッキーをもらっても喜ばなかった。
そうなった理由はただ一つ。
「本当に嫌だった。」
知らない人に囲まれる視線は恐怖で、鳴り響く音楽は耳が痛くて、親もろくにこない寂しさ。
なのに、それを口に言えず最後の記念にと無理やり出された。
最後までやった私は色々疲れ果て、体育座りで泣いていることが最大の反抗であり意思表示であったのだ。
もちろんこの運動会に父は来ていない。
来たのは祖父母、途中から母。
すごい典型的なHSPの気質が出ていたと思う。
20数年前HSPという気質もマイナーだった為、ものすごく、手のかかる園児だったと思う。(こういう時だけ)
基本はおとなしくて「仲間に入れて」や「一緒に遊ぼう」という言葉さえも色々考えすぎてできなかった。自分の感情をさらけ出せる場所は家しかなかったほどだ。
家でも父がいる時はあまり喋らず、姉と母がいる時とテレビを見ている時しか安心できなかった。
父は恐怖の存在ではなかったが、なぜか居心地が悪かった。
何を話して良いのかわからずいつも微妙な距離感があったのを覚えている。