#希望と絶望感想文 日向坂46ドキュメンタリー映画の「あれどうなん?」を考える【ネタバレ含む】
この映画の感想です。ネタバレ含みます。
作品中、いくつか「ここは慎重に解釈したいなぁ」とか「これは何度も見ないと理解できないかな?」ってところがあったので、そのあたりを考えてる内容です。
前提
見たのは公開初日の1度のみです。体調の関係で何度も映画館に行くのは難しいので、円盤化してから何度も見ようと思っています。なので、まだ見方が浅いと思います。何度も見返したり他の人の意見・感想などを見聞きすると見方が変わる気がします。
映画全体の印象
比較的フラットなドキュメンタリーだなと思いました。物語としてあえて大きく起伏を演出するわけではなく、記録映像的とでも言うんですかね?そんな感じもしました。
既報の事実も多く、各メディアで情報を追っていた人からすると「希望と絶望というから構えていたけど拍子抜けした」と感じそうです。そういう意味では安心して見られます。
ただこのタイトルは、日向坂を知らないドキュメンタリー好きも狙った文言でもあるし、最近日向坂のファンになった人からするとインパクトの強い内容ではあるので、ちょうどいい塩梅なのかな?
もちろん随所に初出しの内容があり、すでに日向坂の歴史に詳しい人でも答え合わせ的に見つつより詳細が知れたり気になっていたことが明らかになると思います。
観る人によって何に最も希望を感じ、何に最も絶望を感じたか変わりそうです。話してみるとおもしろそう。
慎重に解釈したいなと思った点
「この辺りは何かを批判したくなりそうだなー」と感じたところがいくつかあったので、自分なりに考えた「あれってなんでああなるの?」をまとめていきたいと思います。
全国ツアーで渦巻く不満のシーン
多忙による疲労も相まってセットリストの過酷さや事前相談の無いことなどでメンバー内に不満等が募っていたことについて、メンバーの意見を取りまとめてキャプテンがスタッフと相談をするようになり、そこからスタッフとメンバーとでライブを設計していくようになった旨のシーンがありました。これを見て「え?今さら?」と思った人は結構いそうですし、確かにわりと時間かかったなという印象は受けました。
中には「スタッフは決定事項をメンバーに実演させるだけで意見も聞かない。メンバーをプロとして見ていない」と捉える向きもあるんですが、まぁ多分そういうわけではないだろうなぁと思うんですよね。そのへんの考えを書いていこうと思います。
劇中で「これまでもこうしたほうがいいんじゃないかとメンバー内で思うことはあっても、スタッフに伝えたことはなかった」という旨の話が出ていますが、おそらくこれ「あるある」で、
「相手にある当然の権利は、わざわざ説明するまでもなく相手は把握している」と思い込んでいる立場と、
「やっていいと言われない限りやってはいけない」と思い込んでいる立場との単純なすれ違いだと思うんですよね。
今回でいうと
スタッフ:ライブの演出計画を作成するけど、もちろん演者から何か意見があれば当然対話する用意はある。演者もプロだし当然その事は分かっているだろうからまさか「何か意見があれば言ってね」と説明しておく必要があるなんて露ほども思っていない。
メンバー:セトリや演出について「こうした方がいいんじゃ?」と思うことはあったけど、意見を伝えてもいいとは言われてないし、まさかスタッフに対話する用意があるなんて微塵も思っていない。
って構図だったんじゃないかな?と思っています。
対話の余地自体は、がなクリのひらがなけやき演出を一期生とスタッフが話し合って当初の方針から変更したようにこれまでにも見せてますし、そもそもリハなどで細かい調整はしてるでしょうから、決してメンバーをアマチュア扱いしてるわけじゃなくて、対話の余地に関するただの認識のすれ違いがあっただけな気がしてます。
「演出づくりの最中からメンバーの意見を拾い上げるのがプロでは?」という見方もあるかもしれませんが、たとえば「作り上げられたものが演者に伝えられる」構造は舞台やドラマ撮影なども似ていると思っていて、でもそれをもって
「監督や脚本家、演出家は演者をアマチュアだと思っている!」
なんて思わないじゃないですか。むしろ
「演者さん、脚本一緒に作りましょうよ。まず最初のセリフ何がいいと思いますか?」
という方が珍しいですよね。
なので「創るプロ」と「魅せるプロ」、それぞれの仕事の責務が存在し得意不得意は分かれるけども、より良い表現にするために魅せるプロだから分かることを創るプロと対話しながらすり合わせていく過程が必要なだけで、「みんなでゼロから作ってればプロ」というわけではないだろうなと思います。
私自身、このようなすれ違いを仕事でもプライベートでもどちらでも経験したことがあって、特にプライベートのほうは映画を見てる最中に「デジャヴュかな?」って思うくらいほぼ同じ状況に出くわしたことがあります。その状況に出会ったときは「え!?そっか、対話する余地があることって説明しとかないとわからないんだ!」って、ものすごいカルチャーショックを受けて勉強になったんですけど、意外とこの「やっていいと言われない限りやってはいけない」っていう思い込みはふつうに転がってるんだなぁと感じます。しかも年齢を限定しません。
だからこそこのフェーズって将来を見据えるとかなり大事だったと思います。必要なときに必要な変化がちゃんとできるって、意外と難しい。外から見れば「そんなん当たり前だろw」って簡単に言えちゃうことも意外と難しい。何も変わらず「あいつらは敵」って考えに固執しちゃうこともできましたが、そうではなかった。劇中ではあんまり詳しく描かれてませんでしたがこの変化を生むには相当胆力が必要だったんじゃないかな。みほちー(渡邉美穂)が抜け、4期生も入ってくる中、非常に重要な瞬間だったと思います。一番泥臭さがあったであろうこのフェーズ、個人的に劇中で一番好きです。なのでもうちょっと詳細は見たかったなと思います。
ケヤフェス Day2-3 終了後のスタッフのスタンス
あれを観ると、
「炎天下で無理に決まってんだろ!そもそも危険だ!」
「せめてまずは労いの言葉は無いのか!」
「要求するならトレーニング等のマネジメントをすべきだ!」
って言いたくなりますよね。気持ちはすごいわかります。言ってることも間違ってない。ただあの発言をしている方はそれをぶつけられても困るだろうなと思っていて、そのへんの考えを書いていこうと思います。
なぜああいうフィードバックなのか、それは各チームの責務を想像すると少し見えてくるんじゃないかと思っています。もしあの場面に、以下のように責務の分かれたチームが少なくとも3ついたとするとどうでしょう。
ライブチーム:ライブ演出策定やクオリティの担保に責任を持つ。クオリティを保つための言動が最優先。ライブ時以外の活動には原則的に関与せず。
マネジメントチーム:グループの全体的な管理(大方針〜小方針までの策定、実行、スケジュール工程管理、メンバー管理、レッスンの手配などその他細かい兵站すべて)をし、グループを商業的に成功させることに責任を持つ。
演者チーム:日向坂46というグループそのもの。最終的な表現活動の実演で観る人を魅了しお客さん(=お金を払ってくれる人)を獲得することに責任を持つ。
完全にぱっきり分かれるとは限りませんが主な責務としてはこんな感じが想定されます。すると、あの場面でメンバーへパフォーマンスのクオリティの要求をしていたのはライブチームだと推察されます。
重要なのは、「真夏の炎天下15時に野外ライブを実施する」意思決定をしたのはライブチームではないんだろうな、というところです。なので
「炎天下でも多忙でもやると決めたんだからちゃんとクオリティ要求しますよ」
というのがライブチームのスタンスなんだと思います。ライブチームは普段からずっと行動を共にしているわけではなく、スポット単位の「ライブ時のみの関係」だと思われるので、だからこそこういうスタンスでフラットにパフォーマンスを評価できるんでしょうね。
ライブチームは最終的に実演された事実のみを評価するのが責務になるため、劇中にあったように、ライブ後の指摘に暑さや多忙の考慮が入っていないわけです。メンバー管理等の責務もないでしょうし、当然トレーニング管理の責務もないわけなので、だからこそクオリティについてのみ指摘していたと思います。めちゃくちゃピュアに仕事してるだけなんですね。なのでああいう内容のフィードバックになるんだと思います。真っ当なことをしている自信があるからこそあの映像を世に出すこともできるんじゃないでしょうか。
労いの言葉とか言い方については、「何だコイツ」って思う人もいるんだろうなぁというのは分かりつつ、個人的にはあんなもんじゃないかなっていう気持ちです。「指摘が抽象的すぎる」という見方もありましたが、詳細は別途映像など見ながらのほうがいいので、ライブ後の総括的なあの場ではあのくらいの抽象度でいいようにも思いました。内容も全体的なフィードバックなので全員(マネジメントチーム含む)がいる場所ですべきと思うのであの場でよかったんじゃないかな。
あのシーンは見てて「過程」と「結果」のぶつかり合いだなぁと感じました。過程は「こっちはこんなに頑張ったんだよ!」って感情が入りやすいですし観る方としても共感しやすく、一方で結果のほうは感情を排除し冷静に捉えたものになるので、印象だけでいうと悪者に見えがちですよね。でも観客は過程だけを見てくれるわけじゃないし、結果にシビアに反応もします。「私は2日目も楽しかったです」という声の裏で心が離れそうになっている観客もいたかもしれません。
もちろんメンバーは結構かわいそうな立場だとは思います。
「文字通り死ぬほど暑い中やれるだけのことはやったよね!それでこう言われるとしんどいね!」
って思いました。かわいそう。いっぱいパンチパンチキックしてほしい。
ライブの開始日時について意思決定したチーム、ライブの質に責任のあるチーム、これら別々の責務のチームから課される、現実的には相反する課題(「暑い中でやろう」「やるならクオリティを出そう」)をクリアしないといけない立場だったので、そりゃ皮肉を込めた言葉で場を締めたくもなるし、叫びたくもなるよなぁ。
とはいえ、ライブチームの責務はあくまでライブのクオリティの範囲でしょから、ライブチームを責めても解決しなくて、その指摘を受けて「じゃあどうすればいいか」を考えるのが演者とマネジメントチームの責務になるんだと思います。クオリティの件は事実として受け止めつつ、「じゃあ普段の過ごし方をどうしようか?」とか「日程の問題もあるのでは?」などと、ちゃんとクオリティを担保するためにマネジメントチームと対話することが必要なんだろうなと思いました。前述したツアー中に見られた変化がケヤフェス前に起こっていたらどうなっていただろう?っていう妄想も無くはないですが、少なくとも今年はそれを乗り越えたあとの開催です。実際変化も見られて、今年のケヤフェスは15時開始が無くなりました。他にも見えない部分で何らかの変化があるんだと思います。今年はどんな感じになるか楽しみです。1日目の配信が無いのが悲しいですけどね!見たかった!
ケヤフェス Day2-3 終了後にスタッフが指摘した点の本質
ちなみにライブチームのフラットなフィードバックの大事さは、劇中のこのちゃん(松田好花)のコメントからも浮き彫りになったように思います。このちゃん本人のパフォーマンス中の感触とフィードバックにギャップがあったことを述べていましたが、ファン目線、および演者目線ですらも気づかない質の低下にプロはちゃんと気づいて警鐘を鳴らすことができるということを端的に表していて、それがあるから "多くの" 客が気づくレベルまでライブの質が落ちる(=つまり客がどんどん離れる)前に食い止められるんだろうなぁと思いました。
実際、「スタッフはあんな事言うけどそうは思わない!Day2/Day3 を現地/配信で見たけど感動した!素敵なライブだった!」という声は挙がっていて、その方が多いのかなぁという印象ですが、質の変化に気づいてた意見も相対的に少なく感じるものの見られます(暑さの影響を加味した意見など)。
一方で、ライブチームはスポットでの関係なため、クオリティが落ちているという「現象」は言い当てるものの、なぜその現象が起きているのか、その「本質」までは分からないよなぁとも思いました(分からなくていいんですけどね)。
そう思ったきっかけが、全国ツアー後、今野さんがメンバーにフィードバックを送るシーンがあって、それを見て驚いたからです。ちょっと正確な文言は思い出せませんが今野さんは、
「そんなとこまでいっちゃうんだ〜っていうのが日向坂の良さだけどそこまでいってない」みたいな旨のことを言っていたと記憶しています。
このシーン、見てて結構びっくりしたんですよね。話の筋的には、「最初は不満が渦巻くも、スタッフと対話しながらライブを設計していくようになって、ライブも楽しめるようになってパフォーマンスにも好影響があった」ようなイメージで捉えてたので、「え、意外とそういう芳しくない評価なんだ」って感じたんです。変化があったのにまだダメなんだっていう。かつ、ツアーなので疲労はともかく少なくとも暑さは今回は問題ない。
そこでちょっと思ったのが、ケヤフェスの件、猛暑という条件が本質を見えづらくさせているだけで、実はパフォーマンスに影響する根本的な問題が他にあったのかもしれないな、ということです。もしそうだとして、かつ劇中に描かれていたとしたら、「グループの一体感」みたいなものがその正体なのかな?ケヤフェスのときも「一つになってない」的なことは描かれつつ、後半は「暑さ」が軸になっててあんまりその辺り見えなくなってましたよね。そういえばなんかあの辺、メンバー間のギャップをよく描いていたような?かとしの認識とみくにんの感覚のギャップ、このちゃんやみほちーの"自分の感触"と全体評価とのギャップとか。その辺が関係するんだろうか。でももっと複雑な可能性もある。まぁこの辺は何回も見ないと分かんないか。
何にせよ、ケヤフェスでライブチームは「現象」を指摘しましたが、今野さんのフィードバックのシーンで「本質」的な部分はまだ残ってるのかなぁと感じられました。暑さも無くなり、スタッフと対話するようになったからこそ逆に浮き彫りになったというか、目を背けられないというか。あの評価を受けてメンバーがどう感じたのか、そのへんはもっと見たかったなぁ。
もっとも、今野さんの指摘もまだ変化して間もない途上での話ですし、その後年始のメンバーだけの集まりでグループの状態がよさそうだったことを踏まえると、再度良い変化を経ての東京ドームだったのは間違いないんだろうなと思います。
ちょっとこの辺はまだ思考ぐちゃぐちゃだな。
2回目の視聴以降で確認したい点
1回目見たときに違和感があったり、何度か見てみないとその正体がわからんなぁと思った点がいくつかありました。何度も見てる人はこのシーンをどう捉えたのか気になってます。
ケヤフェスフェーズで、話の筋をあえてブラした意図
あそこの話の流れは「多忙と猛暑でメンバーみんなが気力・体力ともに余裕がない」だったと思います。ところが、リハだったか本番だったかで舞台裏でへばっているかとし(加藤史帆)に話を聞いているシーンで、かとしがみくにん( 髙橋未来虹)にキツさを確認した際、
「私はまだ全然いけます」
という旨の返答をしてました。
そう答えた意図もいくつか考えられるとは思いますが(本当にそうだった、何らかの配慮があった、etc。自分的には本人の性格や相手がかとしだったこと、多忙メンバーと比べると普段の稼働が相対的に少なかったことを考えると本当に全然いけたんだと思ってます)、その意図とは無関係にそもそもあの映像を使うことで見ている側の印象としては
「いや全然いけるんかい!」
ってなって、話の筋がブレるんですよね。
入れなくていいはずのものが入っているので明らかに何らかの狙いがあるはずなんですが、まだはっきりと見えてないです。
全員が同じ状況だったわけではないようなことを表現したいのかなぁとは思うんですが、その先のメッセージはなんなんだろう。先述したことにつながるのかもしれないですし。あのシーンってどう感じましたか?
ケヤフェスDay3後のみほちーインタビュー後の表情
1回だけしか見てないのでただの気のせいとか考えすぎなだけかもですが、
Day3 終了後のみほちー(渡邉美穂)のコメントで、
「(昨日のスタッフからのフィードバックが)逆に良かったかもしれません」
って笑って言ったあと、急に真顔になってませんでした?
なんかすごい違和感があったんですよね。
たぶんその後カメラマン(たぶん竹中監督)からの質問が続いたからそれを聞いて表情が戻っただけなのかなとは思うんですが、ここは円盤出たら早急に確認したいなと思っているポイントです。
全国ツアー中のメンバー間の気持ちのズレみたいな話
気持ちが一つになっていなかった件について、どう解決したのかまでは理解しきれずでした。スタッフとの対話のなさが気持ちのズレの根源だったのか、スタッフとの対話プロセスの中でメンバー内でも何らか調整ができたのか、別の何かがあったのか。単に答えは出てて、1回目じゃ全然気づかなかっただけかもしれません。何度か映像を見てヒントを探りたいなぁと思っていますが、なんかあんまり突っ込んだ映像になってなかった気がするんですよね?素材がないのか、あるけど出せないような内容なのか。ここめっちゃ勉強になるはずなんだよなぁ。
(2020.07.22 追記)
先日放送されたムビきゅんにて、「メンバーがバラバラになったあと、また一つになったきかっけは?」との問いにおみく(金村美玖)が、
こさかな(小坂菜緒)の復帰で22人揃った辺りからドームへ向けてがまとまりが出てきたように思うというような旨の回答をしていました。
この日にメンバーだけの時間を取ってもらったことは既報ですが、たしかこの日は美穂の卒業発表があった日と同じだったかと思うので(ソース失念)、だとすると 2022.01.23 になります(「余計な事までやりましょう」#92 39分29秒あたりから)。
なので時系列的には
「ツアー」
↓
「ひなクリ2021」
↓
「紅白」
↓
「キャプテンからの声掛けと、メンバーも思っていることを伝える」
↓
「小坂菜緒復帰、美穂卒業伝達、メンバーだけの時間」
ということですね。
ツアー終了時点ではまだまとまりきっていなかったものの、これらの期間を通してまとまり直し、ドームへつながったということでしょうか。
特に、こさかなが復帰して22人となったこと、メンバーだけの時間をその時に取ったことは重要な要素だったんでしょう。もしかすると美穂の卒業により、「22人で迎える東京ドーム」という日が、約束の彼の地にたどり着く記念すべき日というだけでなく、「22人として最後かもしれないライブの日」に変化したことも影響してるんじゃないかなーと思ったりはします。
ちなみにドーム当日時点でまだ渡邉美穂卒業セレモニーは確定していなかったようなので、「最後かもしれない」になります(「Seventeen (セブンティーン) 2022 夏号」こさかなのインタビューより)。
この辺りは映画だけだと把握することは難しく、引き続き各種メディアから出てくるだろう情報から少しずつ輪郭がはっきりしてきそうですね。まぁでも、これ以上の詳細は出ないような気もします。「何を話したか?」っていうレベルになってきますから。
見終わって、改めてグループのことはどう思ったか?
まだあんまり言語化できてないんですが、「より好きになった!」とか「キライになった!」とかいうよりは、
「ちゃんと人間だ。そうだよね、そうだよね。わかるよ〜わかるよ〜!ちゃんと人間でよかったー!」
みたいな感覚なんですよね。
人間ぽいところが見えて安心?っていうのが近いのかな。
普段見えている表の部分ってやっぱり優等生だと思うんですけど、劇中だと
「叫びたくなるよね〜」とか、
「文句も抱えちゃうよね〜」とか、
「ディスタンス無視したくなるよね〜」とか、
そういう優等生ルールを破るシーンが垣間見えますし、垣間見えると「ちゃんと人間だなー」って感じられて、ホッとするような感覚があります。
ツアーのフェーズのあやちゃん(高本彩花)のコメントとかすごい好きなんですよね。人間だなーってなる。
ドーム後のこさかな(小坂菜緒)のインタビューも、聞いててすんごい安心したんですよね。人間だ!って思ったというか。内容自体は優等生に見えますが、表情からすごく人間を感じて、なんかホッとしたんですよね。こさかなの場合は色んな文脈があるので、それもあるかもしれません。
別にみんなのことロボットだと思っているわけではないんですけどね。
ともかく、なんか安心感を得られた映画でした。
そんな結論!