駅弁のお供、汽車土瓶とは?
かしわめしで有名な北九州の東筑軒が創業100周年を記念して500個限定で発売した汽車土瓶付きのかしわめしは、販売開始から僅か4日で売り切れという大きな反響を呼びました。ここ最近、旅先で汽車土瓶を見る機会が増えていて、令和の時代で懐かしの逸品を見たり手にしたりすることは大変貴重になっています。
汽車土瓶は明治~昭和の食文化を語る上で欠かせない茶器で、駅弁の歴史と並んで鉄道史を彩るとともに、旅のお供として重宝されてきた鉄道の歴史そのものなのです。その汽車土瓶について歴史やその変遷について、少し考察をしていきたいと思います。
日本で最初の駅弁が1885年(明治18年)に誕生してから4年。最初の汽車土瓶は1889年(明治22年)、静岡駅で売り出されたのが始まりです。元祖は、信楽焼の土瓶にお茶を入れたものでありました。それ以降、駅弁とともに全国的に普及し、信楽や益子、美濃など窯業の盛んな地域を中心に全国各地で多種多様な土瓶が生産されてきました。
汽車土瓶は陶器製ですが、当時は使い捨て容器として使われていたそうで、持ち手が針金であることや蓋も密閉式ではないことから、比較的簡素なつくりとなっています。使用後は陶器を砕いて土に戻すなど、リサイクルについても今に通ずる先進的な考えが盛り込まれていたそうです。
写真は一般的な汽車土瓶で、国鉄の動輪マークが入った普及品です。こちらは復刻版ですが、長い鉄道の歴史を物語る貴重な資料として存在価値は高いのです。土瓶に入ったお茶は、コップとなる蓋に入れて飲みます。陶製で保温性がよく、比較的長い時間注ぎたてのお茶が楽しめます。
また一時期、ガラス製の汽車土瓶が生産されていた時期があったのですが、お茶の色と相まって尿瓶をイメージしてしまうことから、短期間で消えるというエピソードもあったそうです。
汽車土瓶は昭和30年代まで旅先での定番として、また鉄道文化の欠かせない脇役として確かな地位を固めていましたが、重くて割れやすいという欠点があったことから、ポリエチレン製の軽くて強い素材に替わっていきました。ポリエチレン製のパックは、大幅な軽量化とともに落としても割れない特性から安全性や耐久性が向上し、昭和40年代から50年代までの主流になりました。
しかしながら、ポリエチレン製の茶器は便利になった反面、本来のお茶の味を損ねてしまうことが多かったため、これも缶やペットボトルに置き換わっていきました。一方で、汽車土瓶は保温性のよさと相まって味の変化が起こりにくいことで見直されるようになり、近年は復刻販売を行う駅弁屋さんや鉄道事業者が増えてきています。汽車土瓶の復刻販売は大井川鉄道など全国各地で期間限定で行われることが多かったのですが、調べたところ通年で以下の3か所で購入することができます。
・小淵沢駅(駅弁の丸政店舗内にて)
・リニア・鉄道館(デリカステーション内)
・信楽駅(駅売店にて)
また、MUJI(無印良品)の一部店舗(大都市の旗艦店が中心)やネットストアでも、日本の生活道具を紹介するイベントの一環として、汽車土瓶を買うことが可能です。
MUJIで販売中の汽車土瓶。茶色と白の2種類が復刻されています。
ちなみに東筑軒が販売した汽車土瓶の製造元はNHKの連続テレビ小説「スカーレット」で話題になった信楽焼のお膝元、滋賀の信楽学園で、最盛期には月産で50000個も作っていたそうです。土瓶は何と生徒さんの手作りで、完成度の高さは折り紙付きです。
汽車土瓶を近くから見ると、信楽学園の生徒さんの一生懸命な仕事ぶりが伺えます。
汽車土瓶はお茶を飲むだけでなく、醤油入れや一輪挿し、お酒のぐい呑みなど、幅広い用途に活用することができます。日本の鉄道史の大部分を見つめてきた歴史の証左ですので、皆様も是非一度お手に取って頂き、鉄道のよさを感じ取って頂ければと思っています。