肥薩線とくま川鉄道、鉄路再開への道#2
2,くま川鉄道のレールサイクルを見る
黒肥地保育園の先生の車に駅弁のやまぐちさんで注文をしていた子どもたちのお弁当を積み込み、くま川鉄道のレールサイクルの受付を行っている十島菅原神社に程近い十島菅原第一踏切へ向かう。この踏切は駅間距離の長い相良藩願成寺~川村間の中間に位置する踏切で、幸いにも路盤の流失や崩壊もなくきれいな状態で残っていた。人吉駅からはレンタルサイクルで概ね20分ほど東に行った場所にある。
運休中の線路を暫定的に活用したのがレールサイクル。観光列車やトロッコ列車では味わえない本物の鉄路を間近に体感できる貴重な機会だ。
レールサイクルを紹介する前に、くま川鉄道の概要について少し触れておきたい。くま川鉄道(以下、くま鉄と表記)は嘗ての旧国鉄湯前線で、人吉・球磨地域の地元の足として長らく親しまれてきた路線だが、乗車人員が国鉄の定める基準よりも少なかったことから国鉄再建特例法によって第3次特定地方交通線として廃止の対象になっていた。そこを沿線の高校生の通学アクセスの確保や地域の鉄路として残したいという思いから1989年、第3セクターとして転換開業し、今に至る鉄路となっている。
第3セクターに転換後も熊本からの急行「くまがわ」(現在の特急いさぶろう・しんぺい、かわせみ・やませみの前身)が、湯前まで乗り入れていた時期もあった他、JR九州からキハ31が譲渡されて使われていたこともあるなど、国鉄車を沿線で見ることが出来た時代が最近まであったが、現在は田園シンフォニーに使われる新潟トランシス製の車両で賄われており、旧型車は全て置き換えられている。
レールサイクルに話を戻す。車でおよそ15分。目的地の踏切に到着すると、現地では保育園の子どもたちがレールサイクルを楽しむ姿が見受けられた。この日参加した子どもたちは全員が年長さんで、来年小学校進学を控えている。みんなそれぞれ進学前であるが、小学生らしい顔になりつつあった。車に積み込んだお弁当をクラスの先生方に引き渡し、保育園の園長さんに挨拶を行うとともに、自身の自己紹介と著書「電車で学ぶ英会話」の献本と、交流の時間を過ごす。
交流の間も子どもたちは次々にレールサイクルに乗車。年長さんとはいえ体力面、安全面を考え、大人も同乗する。さながら遊園地のアトラクションを待つかのようで、子どもたちの目が輝いていた。
レールサイクルの車体は、この緑のビニールテントに普段は収納されている。
レールサイクルはマウンテンバイクタイプの自転車を2台サンドイッチしてその間に2人が座れる構造で、最大乗車人員は4名。運行や車体の改造にあたっては、嘗ての神岡鉄道のレールマウンテンバイクをヒントにしているとのこと。
乗車中はヘルメットの着用が必須。
さて、レールサイクルの利用であるが、利用できる日は基本的に土・日・祝日が中心であるが、夏休みなど学校の長期休暇のシーズンには毎日運行も行っているので詳細についてはくま鉄のホームページを確認して頂きたい。また、本物の鉄軌道上を走ることから安全のために年齢制限や乗車制限もあるので、こちらも事前の確認をお願いする。
乗車後の子どもたちからは「スピードが出て楽しかった。」など、みんな楽しそうな顔になっていたのが印象的であった。この後は写真撮影。子どもたちの撮影を手伝い、くま鉄の社員さんの話を聞いてからみんなで気持ちよく「ありがとうございました」のお礼。元気なあいさつを聞くと、既に小学校進学への準備が着々と進んでいるなと肌で感じ取れた。これであれば来年受け持つ小学校の先生も礼儀面などの基礎的な部分については安心できるところだろう。
実際、くま鉄の社員の方々も子どもたちから復旧への元気やパワーをもらっていたのは容易に想像がつく。「今しかできないですからね~。ここに列車が戻ってきたらもう乗れないですよ~♪」と声が弾んでいたので、球磨地域の鉄道への思いは半端でないことが伺えた。その勢いを感じたところで社員さんに挨拶を行っていなかったので、著作の献本を兼ねて挨拶を行ったところ、「社長に渡しておきます。」という有難い返答を頂くことができた。翌日、くま鉄の本社に伺うことになり、社長さんから直接お話を聞く機会も頂くことが出来たことは本当に感謝である。
レールサイクルを体験した子どもたちは、神社に移動して昼食タイム。普段はおかどめ幸福駅近くの展望台に行ったりするなど、体験学習でくま鉄を普段から使っていて、この日は父兄の車で現地に乗り込んでの参加だったそうだ。
この後のスケジュールについて主任の先生から尋ねられたので、自身が組んだスケジュールをお話しすると、何と一勝地駅まで向かって頂けることになり、肥薩線の線路の今の実態を一部ではあるが記録することが出来たのである。その様子はくま鉄とは違い、被害の甚大さを物語る生々しいものであった。
<#3に続く>