キリンジ『柳のように揺れるネクタイの』について
目的意識に立ち返れば単に感想を書きたいだけなのだけれど、いかんせんその感想を言語化できない範囲に留めたがる悪癖が邪魔して、表現できないのは無論しょうがないのだが、ここがややこしいところで、感情を表現したいという欲求は欲求でちゃんと持ってるから、隣の隣ぐらいに住んでいる分析さん家のインターホンをついつい押してしまう。音楽に歌詞の分析は必要ないと思いつつも。
まあそれでも複雑なラインを整理するのも楽しい、ということで『柳のようなネクタイ』について!
ああするよりはなかった
いや「ああするよりはなかった」ってサスペンスドラマでしか聞いたことないな!警察や探偵に追い詰められた犯人が自供を始め、自分の殺人を肯定するために「ああするよりはなかったんです」とか言って。そしたら杉下さんが顔を真っ赤にして「人殺しは決して許されない!」と激昂し、奥でボヤけた亀山くんが神妙な面持ちで......
第一感は俺は殺人あるいはそれに準ずる不法行為の存在が仄めかされた歌詞。
胸元のネクタイの裏地に触れているのは装着した人の喉もから胸部にかけて。だから、このラインはその装着者の嘆きが染みわたったと解釈することもできるけど、先述の歌詞を元に、そのネクタイで誰かの首を絞めて殺してしまった、という解釈を推す。
ただ、柳のように揺れるネクタイは胸元で揺れてるそれだろうか、頸を絞めるイメージとは逕庭がある。ここで描かれてるのはネクタイを装着して蹣跚と歩いている誰か、というのは違いない。この曲は全体を通して時系列がはっきりしている。
キレてますね めっちゃ
次のところでは「使えねえって言うな」と少し歌詞が変わる。言い分けが細かくていいよね。『Round and round』の「それならいいが」「それならいいんだが」とか、微妙にニュアンスとリズムが変わると嬉しい。
この曲は
蹣跚とした男の胸元で柳のように揺れるネクタイ→喫茶店で紅茶を飲む夕暮れ→若者がギターを弾き歌う光景 と移動していく。
今引用した箇所は夕方にコーヒーを飲んだ帰り、夜に路上ライブをしている若者を見ているのだと感じる。
歌詞だけ切り取ればメジャーポップな若者ソング批判ともなるわけだけど「収まるように収まったならそれでいいのか」とか「猫の静けさが今は恋しい」辺りの歌詞と対照的に書かれているから、その文脈を無視してここだけ切り取るのはナンセンス。
収まるさと誰かに慰められてそれでいいのかと不満あり、許容できなかったから→「ああするしかなかった」
仕事場で理不尽な何かがあって、収まるようにすることができず、やってはいけないことをやってしまう。つまり、自分らしくあるために、やってはいけないことをやってしまったのだ。
そう思えば若者のポップカルチャーに対する批判めいた箇所は、批判がより嫉妬がより濃く感じられてくるんじゃないか。トーマスマンの『トニオクレエゲル』みたいな。羨望と侮蔑が渾然一体となった感情。
『drifters』の「『お金が全てだぜ』と言い切れたならきっと迷いも失せる」と似てるかも。
割り切れない奴らのための歌、なんぼあってもいいですから!てなかんじで『柳のように揺れるネクタイの』についてでした。