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キリンジ『耳をうずめて』について

爆ぜる心臓

 昨夏より始まった我がキリンジブームだが、Awichとコラボした『爆ぜる心臓』や鎮座Dopenessとコラボした『Almond Eyes』がリリースされた頃からキリンジの名前だけは知っていた。キリンジに出会う前は日本語ラップを聞いていたのである。特に好きだったのはキエるマキュウとKICK THE CAN CREW。なんじゃそりゃ!
 当時はその二曲からキリンジまで辿り着かず(なんならKIRINJIにも辿り着かず)、ふと聞き返した『爆ぜる心臓』から何故か『十四時過ぎのカゲロウ』に流れ着いたのがブームの契機。Youtubeアルゴリズムさんありがとうございます。
『十四時過ぎ過ぎのカゲロウ』で夏を味わい、『千年紀末に降る雪は』『Driftres』で冬を越え、『汗染みは淡いブルース』『ニュータウン』『風を撃て』『冬のオルカ』(PDM四天王)で春をやり過ごした...... 雨天の旅行先で『かどわかされて』『恋の祭典』を聞き、最近は『僕の心のありったけ』をよく聞いている。

時の流れの ほとりで手を振る人に めぐり逢いたい

キリンジ『僕の心のありったけ』


 2013のラストライブを最後にKIRINJIへと移行した今、キリンジ体制でのライブ開催は望み薄。『涙にあきたら』と『祈れ呪うな』あたりの逕庭を一つのグループで抱えるのはかなり厳しいように思えるし、弟脱退という選択が自然だったのだろう。もっとも、理由が自然か自然じゃ無いかは本来ファンの言及するべきことでも無いのだが、素直に少し悲しい。本当にライブに行きたいアーティスと出会ったのが初めてなもんで……
 大体いつもそうで、大江健三郎は訃報を機に読み始めたし、キエるマキュウを聞き始める一年前にMAKI THE MASICさんは鬼籍に入られていた。Kickは活動休止中だった。死を頂点に据えた権威主義者なのかと自分を誹りたくもなるが、Kickに関しては活動を再開し、なんとかライブに行くことができた!抜群のコンビネーションだった。

耳をうずめて

 キリンジもそんな感じで期間限定でいいから復活してライブやってくんねえかなあって聞くのが「耳をうずめて」。荒唐無稽なのは重々承知の上、堀込兄弟が川沿いで歌っている光景が浮かぶ。

僕ら音楽に愛されてる、そう思うのか

キリンジ『耳をうずめて』

美しい嘘で洒落のめして二人でブギを弾く

キリンジ『耳をうずめて』

 エッセイも読んだし、二人がそんな歌詞書くはず100000%ないのは重々承知してるんだけどさ、「耳をうずめて」の音楽を楽しむ二人を兄弟に重ねてしまう。繰り返すが、正直ライブ行きたいアーティストに出会ったのが始めで、ほんとに生で聞きたい。泣くかもしれない! ちなみに最近ライブ行った弟のライブは最高だった。YOU AND MEのグルーブ感が良かったなあ。


耳をうずめてで一番好きなところ

握る葦と 羽毛の轟音 固有の鼻歌

キリンジ『耳をうずめて』

 凄まじい名詞句の三連発。
・「握る葦と」手持ち無沙汰に葦を握る孤独な人。「祈りにも似ていた 恋人の名前も今は 遠い響きを残して消えたよ」恋人はもういない。
・「羽毛の轟音」は「イソシギの護岸に耳を埋めて聞くのさ」を想起させる。その胸のたわみと対蹠的に描かれる護岸の硬質な手触り。そこから羽ばたくイソシギ。
・「固有の鼻歌」がサビで描かれるミュージャン(あるいはミュージシャン志望か)の葛藤や「二人でブギを弾く」を孤独に再生する。

『耳をうずめて』は1番と最後が現在で、2番が回顧の失恋ソングなのかも。

 白金色の空の下、護岸に座り込んで葦を握り、飛び立つイソシギの羽ばたきに耳をうずめながら、二人でブギを弾いていた頃を思い出して鼻歌を歌う...... そんな静謐な光景が浮かぶ。川沿いを散歩する時にぴったりの名曲。

 1番と最後の場面を孤独だと考えるなら、アンドレイジッドの地の糧の「憂鬱は凪いだ情熱に他ならない」にまさに!と膝を打つようなのも、一人で読んでいる最中のライブ感。

 解釈とかかなぐり捨てて 「固有の鼻歌」って名詞句だけ見ても凄まじい。固有ので修飾しても抽象的なままだから、少ない文量で扱うには難しいのに、それを最後にドーンと持ってくるわけ。上の解釈だと「僕」の固有の鼻歌だとしたけど、固有ので関係を表現するなら、他者の、この場合恋人の「固有の鼻歌」と聞く方が自然かもしれない。

 まあ、『耳をうずめて』はこの辺で。KIRINJIが25周年のライブ曲を配信してくれてて超ハッピー。昨日はイカロスの末裔!いやーイカロスの末裔もいい曲だよね。てか、全部いい曲だよね~ 
 そういえばアップルミュージックの今年の記録を見たら、今年は25000分キリンジを聞いていたそうです。ハハハ。

 


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