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「noteクリエイターフェスティバル」はなぜ私にとって「フェス」だったのか

「note CCEATOR FESTIVAL」。4日間にわたって行われた、クリエイターの祭典です。


私はしっかり全編参加して、お祭り気分を満喫しました。ハッシュタグ「 #noteフェス 」経由でこの記事にたどり着いてくれた方はきっと、同じようにお祭り気分を満喫して、余韻にひたっている方なんじゃないでしょうか。


でもね、ちょっと冷静に考えてみてください。「クリエイターフェス」の内容って、つまりは「対談セッション」なんですよね。オンラインで視聴できる、対談セッション10個。


「対談セッション」は「お祭り」なのか、「日常」なのか。

少なくとも、「日常」の中で放送されたり、記事としてアップされている「対談」って、めちゃくちゃいっぱいあるはずなんですよね。もちろん、noteフェスで配信されたコンテンツはとても面白かったけれど、「日常」の中にある対談だって素晴らしいものはいくらでもある。

実際、「サポーター」に申し込んだわけでもなく、共通のハッシュタグで感想を共有したわけでもなく、興味あるセッションだけBGM的に聞いてた人たちにとって、今回のイベントは「日常」だったんじゃないかなと思うんです。

でも、4日間まるまる参加し、「サポーター」として会場にまで観覧しに行った私にとって、これは紛れもない「フェス」でした


じゃあ、私にとってこのクリエイターフェスティバルを「フェス」たらしめたものはなんだったのか。それは、一言でいうと「一体感」でした。


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前述のとおり、私はこのフェスに「サポーター」として参加していました。サポーターとは何かというと、フェスを盛り上げるべく集まった人たちのことです。

お揃いのサポーターTシャツを身にまとい、同じ背景画像でアイコンを飾る。事前にZoomで顔合わせをし、note名やアイコンを認識できるようになった仲間たちと、お互いのイベントレポートを読みあったり、実況ツイートに反応し合う。普段そこまでアクティブじゃない私のTwitterアカウントでも、「#noteフェス」ハッシュタグをつければ誰かしら拾ってくれる・・・

「noteクリエイターフェス」が私にとって「フェス」になったのは、そんな「誰かと体験を共有する」仕組みがあったからこそでした。



面白いのは、この「サポーター」、お金を払って参加してる人たちなんです。本来無料のイベントなのに、わざわざ3000円払って応援しに集まってる。

それでも「100人限定」の枠が1週間で埋まったのは、そこがイベントを楽しむ「特等席」だったからだと思っています。「お祭り」空間で「踊る阿呆」になるための装置、「内輪」の一員としてイベントを楽しむためのチケットが、「サポーター」だったわけです。



内輪感」にはもちろん、その外にいる人たちを置いてけぼりにしちゃうリスクがつきもので、取り扱いに注意が必要だとは思います。でも、イベントなりコミュニティなりが盛り上がるためには、ある程度の「内輪感」は欠かせなかったりするんですよね。

特に多くの人を巻き込んで広げて行こうとするならば、「中の人」でもなく、でもだからといって完全に「外の人」でもない人たち、つまり「このイベント、このコミュニティは自分たちのものだ、自分は一般の人とは違う」という特別感を感じている層の存在って大事だったりする。

そんな「特別感」をうまく作り出す仕掛けとして、今回のnoteフェスにおける「サポーター」制度は秀逸だったな〜というのが、しっかりその制度に乗っかって「踊る阿呆」になった、いちサポーターの感想です。




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