ミスチルについて語ってみる〜fantasy編
ずるい。この曲はずるい。
https://www.youtube.com/watch?v=7Hk1cvCKM8o
2015年リリースの「REFLECTION」収録曲、fantasy。BMWのCMソングとして聞いたことがある方も多いかも知れません。
この曲、何の気なしにサビだけ聞くと、真っ直ぐ希望を歌った爽やかなポップソングに聞こえるんですよね。
そしてその爽やかさが、CMの世界観と見事にマッチしてる。
笑顔の家族。仲良くフリスビーを投げる子どもたち。緑の中を駆けていくBMV。
こういうCMにミスチルを起用しようとする広告主の期待に、100%きっちり応えてる。
・・・でも。
・・・だけど。
いざアルバムを手にして頭から聞いてみると、このサビの直前には血まみれのシーンが差し込まれているのがわかります。
青空の下でフリスビーなんかやってる場合じゃない。7人と1匹の死体転がってますから。
で、そんな銃声鳴り響く戦闘シーンの直後に、平然と歌い上げるんですよ。明るくてキャッチーで、お手本みたいにポップなメロディーと共に。
えっと、この状況で、「愛し合い」って。「分かち合い」って。
ついさっき銃に頼ってみせたばかりのくせに、「歪で大きな隔たりも超えていける」って。
なんというか・・・・・・
確信犯の仕事ですよね、これ???
***
CMでだけ聴いてる層には「真っ直ぐ希望を歌った爽やかなポップソング」に聞こえるフレーズも。アルバムを聴いたりライブに通ったりするファンの前では「白々しい綺麗事」に早変わり。まるで騙し絵みたい。
「隣の人に気づかれぬように 僕らだけの言葉で話そう」ってそういうこと?深読みしすぎ?
ちなみに、この直後の歌詞も含めるとこんな感じ。
そう、「愛し合い、幸せを分かち合い、歪で大きな隔たりも超えていける」なんて理想は、あくまでも「願い」や「誓い」に過ぎず、下手したら「皮肉」でさえある、そう言ってるんですよね。
「ゆっても、敵に囲まれてピンチになったら、相手を撃ち殺して逃げちゃう生き物でしょ僕ら?」みたいな。
いや、正確にはそこまで明言はしてなくて。
「やだなぁ、別に暴力や対話についてマジメに議論したいわけじゃないですよ。あくまでも僕の個人的な夢の話ですからね?」って体をとってるあたりが、またあざとい。
真正面から現代にドロップキックをかましたり、見えない敵にマシンガンをぶっ放してた20代の頃にはなかった、大人の狡さみたいなものが40代(2015年当時)の彼らにはある。
そんな大人の狡さとセットで、大人の開き直りというか、一周まわったポジティブさもあるんですよね、この曲には。
かつて「信じる」ことを「世間知らずのお人好し」とか「悲惨」などと切り捨てていた彼らも丸くなり。一度は捨てたものを、もう一度ゴミ箱から拾い集めようとしてる。ファンタジーに過ぎない理想論だとしても、一緒に連れて行こうとしてる。
かつて「愛なんて幻想だ、と言い切ってしまった方が楽になれるかも」と思いつつ、諦めきれずに悶々としてた彼らも。開き直って「ファンタジーな部分もあるよね。というかファンタジー上等!」と認められるようになった。
だってファンタジーは「皮肉」や「勘違い」、「嘘」かも知れないけど、同時に「願い」や「希望」、「自信」や「誓い」でもあるから。
そしたらもっと肩の力を抜いて楽しめるようになったし、ジェットコースターにもトランスフォームできるようになった。
かつて「長いレール」にしか見えていなかった旅路も。
と、(若干強引に?)過去の曲につながったところで、2年前に書いたミスチル記事も置いておきます。よければ読んでいってください。
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