顔の呪い

私は今、月に二度ほど浅草橋にある古書みつけでお店番をする日々を過ごしている。
ボランティアなので無給。でも楽しく店先にいるので、遊びに来ていただければ幸いです。
難波の日は私のXでご確認のほどを。

ところで、私はかなり質素な顔立ちをしている。
古書みつけのXなどで私の顔をご存じの方は「あぁ」となるでしょうが、ご存じない方に説明するとなると質素で地味な顔立ち、ということになる。
塩味というよりかは無味。
塩せんべいというよりかはお麩。
そこにお化粧を施せば良くて、薄甘い麩菓子、といった感じ。麩菓子に罪はない、麩菓子は好き。

それがどうしたと言われそうだが、私は豪華で派手な顔で生まれたかったのだ。例えるならば、パフェのような顔立ちに。
笑えばなくなるような薄い一重の目ではなくて、くりくりとしたパッチリ二重の目。
ずんぐりした低い鼻じゃなくてスラッとした高い鼻。
薄いWのような唇でなくて、ぽってり愛らしい唇。
ついでに言うと背も高いほうが良かった。
そういう、居るだけで免罪符になるような人になりたかったんだ……。

40過ぎてんのにいつまでも何言ってんだよ、とつっこまれそうだが、そういう呪いにかかってるんだから仕方ない。そして、この呪いは日本人女性の六割くらいにかかっていると思われる。
恐ろしや。誰にかけられたのかと言うと、私の場合は主に父。

私の父はとても正直に言葉を使う人で、幼い私の鼻を摘まんではよく「低いね-」と言っていたのだ。
「洗濯ばさみでとめておけば高くなるんじゃない?」ともよく言われた。実際やってみたこともあるのだが、痛くて続けられなかった。
コンプレックスってこうして作られるんですよ。
自分の子どもがどんな姿形をしていても、細かいことは言わずに愛するのが親の姿勢としては望ましい。

かくして、美人と比べられて育てられた私は、うまくいかないことがある度に(私が不細工だからいけないんだ)と思い込むようになった。
それはある程度大きくなって、人生において外見だけが全てではない、とわかった後でも心のどこかにこびり付いて消えない痕として残っている。
何故なら呪いだから。
ありのままの自分でいては駄目だという呪い。結果としてこの呪いは私を萎縮させ、さらに不細工に見せるものとなった。あーあ、どうしようもない。

この呪縛を解くのはなかなかに難しい。
誰かに褒められても、お世辞だと思うし。
セルフラブって言われても、いやいやいや、って引いちゃうし。意味はわかっても腑に落ちないし、心が納得してくれないのだ。

まあ、これからもこの質素な顔と向き合って生きていくしかない。

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