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40年前ドイツから送られてきたシュトーレンの思い出

先生あのね。シュトーレンをスライスするとき、会ったこともないドイツのおばあさんの姿が浮かびます。

私とシュトーレンとの思い出は40年前に遡る。

幼稚園の頃、近所に同学年の双子の男の子がいた。
毎朝、私の母が運転する車の後部座席に、私と双子の3人が並んで、六甲山の山道を10分ほど下り、芦屋川の横にある幼稚園に登園していた。

幼稚園児が3人並ぶとさぞ賑やかだろう、と思われるかもしれないが、私は極度のシャイで、車の中でも彼らとは一言も話さなかったと思う。

私たちは同じ小学校に進学したけれど、やはり一言も話さず、友達と言える関係にもなれなかった。ある日、双子はお父さんの転勤でドイツに引っ越して行った。

そのドイツから、双子のお母さんが母に送ってくれたのが、シュトーレン。

「同じマンションの下の階に住むドイツ人のおばあさんが、ドライフルーツを何日もシロップに漬けて作ったケーキ。ドイツでは、アドベントカレンダーのように、クリスマスを迎える日まで毎日、一切れずつスライスして食べるのよ」という説明付きだったと思う。

時代は昭和50年代終わり。シュトーレンというケーキも、アドベントカレンダーという言葉も、日本では一般的ではなかったと思う。

私は母の説明を聞き、「絵本のワンシーンみたい」と思いながら、ドイツ人のおばあさんが、キッチンでシュトーレンを作る様子や、薄暗い階段を登って、双子の家族にケーキを届けるシーンを想像した。

そのケーキが航空便でわが家に送られてくるというのも不思議だった。おばあさんは「日本の友達にも送ってあげて」ということで幾つもシュトーレンを作ってくれたのか、あるいは、おばあさんは自分のケーキが海を渡って、遠くアジアの島国に届いているとは知らなかったのか、それはわからない。

初めて見るシュトーレンは、「これがケーキの重さ?」というほどズッシリ重かった。母が「すごいね美紀、持ってみて」と言いながら、その白い塊を私に持たせたことも覚えている。

粉砂糖で覆われたシュトーレンにナイフを入れると、甘いシロップに浸かったドライフルーツがたっぷり入っていて、とてもシットリしていた。ほのかにリキュールの香りがして、子どもの私には「大人の味」だった気がする。

その後数年間、母は「ドイツのシュトーレン」の味を求めて、神戸北野のドイツパンのお店からシュトーレンを買って来たりしたけれど、「やっぱりあのシュトーレンとは全然違うよね。あれはもっとシットリしていたもんね」
というのが私たちの決まり文句だった。

今、日本でもシュトーレンは当たり前にどこにでもある。だけどやっぱり、私が初めて口にしたシュトーレンに比べると、どれも「パサパサ系」ということになってしまう。

おばあさんのシュトーレンを探すことは諦めたけれど、数年前に出会ったこのシュトーレン。今のところ、これがおいしいなと思っている(このお店での表記はシュトレン)。

池尻大橋のTOLO Panのシュトーレン

お友達にもお届け。


そして12月に入ってから、私と娘は「一日2切れね」というルールで、毎日スライスしている。

シュトーレンの歴史を調べたわけでもないけれど、シュトーレンが11月に入ると店頭に並び始め、日持ちが1ヶ月ほどするのは、やはりアドベントカレンダー的な食べ方で正しいのだと思っている。

「今日はシュトーレン何時にする?」
「そろそろ2枚目、食べる?」

娘とのこの会話が、12月を味わう静かなエンタメだ。クリスマス前に1本食べ終わってしまったけれど。

スライスしながら私はいつも、10才の私が空想した絵本の世界に入る。

「マンションの下のおばあさんが、ドライフルーツをシロップ漬けにして…。出来上がったシュトーレンを届けてくれる」

その世界には自分と家族、おばあさんだけ。とても小さな人間関係と、徒歩数分圏でできている。
毎日のイベントはシュトーレンをスライスして、紅茶とともにいただくこと。

そんな小さな世界に幸せがあるストーリーが、最後に私を救ってくれる気がする。  


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なまず美紀/インタビュア&ライター
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