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はらぺこあおむしのノベライズ

『はらぺこあおむし』という絵本が好きだ。

絵本は短くシンプルな言葉で表されている。
だから子どもでもわかりやすく読める。

だが、そのシンプルで抽象性の強い言葉で語られた物語の背後には、語られなかった具体的事項が余白としてたっぷりあるはずなのである。
映画のノベライズを読むと新しい発見があるように。
『はらぺこあおむし』の一つの可能性として、二次創作のようなものを書いてみました。お時間のある方はお付き合いをいただければと思います。


青虫

「おや、葉っぱの上に小さなたまご」
 一番はじめにその卵を見つけたのはお月様でした。
 お月様ほど大きいものは夜空にはありません。いつも話し相手がいないのでお月様は思ったことが、つい口から出てしまいます。
 もともと昆虫の卵というものは目立たないところに産みつけられるものです。栄養価が高く無防備で、他の生き物に食べられてしまうかもしれないからです。ところがその大きな卵は、葉っぱの表のど真ん中に産みつけられ、はるか空のかなたからお月様でも見つけてしまえるくらいに目立っていました。
 最初はお月様と同じくらい透き通るような銀白色をしていた卵も、日が経つにつれて色を持ち始め、その中でうごめく命のもぞつきが見て取れるようになってきました。

 お日様が昇って、あたたかい日曜日の朝です。
 ポンと卵から青虫が生まれました。
 たまごはエサとなる葉っぱに産みつけられていたはずでした。
 ところが青虫が生まれたのは、食べるものの見当たらない草むらでした。
 なぜそこにいるのかを教えてくれるものは何もありません。
 青虫はお腹がペコペコだったので、食べるものを探し始めました。一日探し続けましたが、その日は食べるものを見つけられませんでした。

 月曜日、りんごを一つ食べました。
 真っ赤なリンゴが一つ落ちていたのです。
 その皮はかたくてかじるのが大変でした。その皮を破ることができたら、先はしゃりしゃりとしてとても食べやすくできていました。ぺこぺこだったお腹にしみ込んでいく甘いあまい汁が、その細長い体のすみずみまで染みわたっていくのを感じました。
 それでも、気がつけばまたお腹はペコペコに空いているのです。

 火曜日、なしを二つ食べました。
 はじめはおかしな色のリンゴだと思っていましたが、りんごよりも果肉が柔らかくシャリシャリとした粒を感じました。りんごとはまたちがった秋の日の空のようなさわやかな風が青虫の身体を駆け抜けました。なしを二つ食べ終わっても、育ちゆく青虫の身体はあっという間にそれを消化してしまいます。気づくとまた、お腹はぺこぺこになっていました。

 水曜日、すももを三つ食べました。
 皮に顔を近づけるだけで、ももの甘い香りがしました。一口かじると汁があふれます。青虫はやわらかい果肉を口にいっぱい放り込みました。最初はすっぱさで埋め尽くされていた口の中ですが、次第にすっぱさはしぼんでいき、甘さだけが口の中に残っていきます。新しい果肉を頬張るたびにすっぱさは息を吹き返し、食欲を刺激するのであっという間に3つのすももを食べつくしてしまいました。昨日より多く食べたはずなのに、それでもやっぱり、いやむしろ昨日よりお腹はぺっこぺこになっていました。

 木曜日、いちごを四つ食べました。
 今まで見てきたどのフルーツよりも愛らしく、顔を突っ込むだけで食べ進めることができるやわらかさでした。もはや、かじるという行為は必要なく、口を開けて進んでいくだけで甘いものが身体を満たしていきます。表面は真っ赤でしたが、果肉は中にいくほど白く、その繊細な美しさがまた背筋がぞくぞくするほど食欲を刺激するのでした。今まで食べてきた中で一番小さく4つ食べてもお腹が満たされることはなく、かろうじて飢えをしのげただけでした。まだまだお腹はぺこぺこのままです。

 金曜日、オレンジを五つ食べました。
 お日様のような果実が五つ、目の前に現れたときには驚きました。その皮から弾け飛ぶような甘い匂いがして、それが食べるものなのだと教えてくれていました。一度皮を食い破りさえすれば、プチプチとした果汁の粒がいくつもいくつも顔の前ではじけて、ジュースのシャワーの中を進んでいくような気分がしました。大きなオレンジを五つ食べたというと、たくさん食べたように聞こえるかもしれません。ところが、お腹はたぷたぷになっても、腹にたまるものはなかったのか、青虫は満たされないものを感じていました。青虫は自分の中の食欲が抑えきれないくらい膨らんでいくのを感じていました。

 土曜日、青虫が食べたものは何でしょう。自分でも覚えていないくらい手当たり次第に食べたのです。

 チョコレートケーキ。
 これは今まで食べたものの中で一番あまく完成された食べ物でした。とろけるようなクリームとふわふわのスポンジ、かりかりで甘いチョコレート。都会の街のように洗練された見た目とは裏腹に、蒸し暑い森の奥で果実をすすっているような野性味のある風味もするのです。

 アイスクリーム。
 これほど、とろけるようにあまくつめたい食べ物を青虫は知りませんでした。おとぎ話の王子でも食べたことがないような摩訶不思議な食べ物でした。トロントロンと舌にあたるだけで溶けていくのです。青虫はその舌触りのとりこになりました。そのミルクの氷菓子に練りこまれた黒い粒からは甘い香りがして、いつまでも食べていられる気がしました。

 ピクルス。
 さすがに甘いもの、油の多いものを食べすぎて、満腹とは違う苦しさをお腹が感じていました。このピクルスをかじると、食感はおもしろく、酸味が喉の奥に溜まった後味をきれいに掃除してくれるような気がしました。青臭いキュウリの風味が、はじめて食べたはずなのに、どこかで食べたことがあるようななつかしさを青虫に感じさせました。

 チーズ。
 塩味と発酵したミルクの香りが口いっぱいに広がったので、青虫ははじめ食べてはいけないものを食べたのか不安になりました。口の中でとろけるチーズの後味が、その不安は間違いであることを教えてくれました。食べても食べても口の中でほどけていくオレンジ色の芸術品を心ゆくまで堪能しました。青虫は甘くない食べ物もあるのだということをこのときはじめて知りました。

 サラミ。
 ピクルスとチーズを食べた後のサラミは、偶然とは思えないくらい見事なハーモニーを見せていました。この三つを組み合わせれば、素敵な食べ物ができそうです。ピクルスとチーズと出会っていたことで、肉の味のよさだけを存分に味わえたのかもしれません。その水玉模様の油と、ピンク色の乾いているのにジューシーなお肉。甘いものでいっぱいだったお腹は、もはやすっかりリセットされ、青虫の身体はまた甘いものを求めていたのでした。

 ペロペロキャンディー。
 その渦を巻いた形に沿うように、青虫は甘くてかたくてカラフルなその飴をがりがりかじりながら進んでいきました。どうやらキャンディーは舐めて溶かしながら味わうものだということに気づいたころには、食べ終わりを示す棒にだいぶ近づいている頃でした。青虫はこんな甘さをぎゅっと固めた食べ物があったのかと驚きました。

 さくらんぼパイ。
 そろそろフルーツの甘さが恋しくなってきた青虫の目の前に、まだ見ぬ新しいフルーツが現れました。パイになったさくらんぼです。これまで食べたどの皮よりも、あまく香ばしい生地。そしてそこに包み込まれたさくらんぼは、今まで見たことがないくらい甘く味付けされています。その姿はドレスを来たフルーツと再会したような気分がして、青虫は自分の心が驚きと感動で震えているのがわかりました。

 ソーセージ。
 青虫の身体はまた塩辛い肉を求めています。腸のぷりぷりの皮に詰められたひき肉のそのスパイスに、目の前がチカチカと明滅するのがわかりました。肉に練りこまれたそのわずかなハーブの葉が刺激となり、青虫は自分が本来食べるのは葉っぱであることに思い至りました。DNAの奥に眠る青虫の本能が、葉っぱとの再会を一番に喜んでいたのです。それでもまわりにある食べものを食べつくすまで、青虫はとまりません。

 カップケーキ。
 青虫は気がつけば、カップケーキに顔をうずめていました。その上に添えられたチョコチップがなつかしく、チョコレートケーキを食べたのがずいぶん昔のことのように思えました。どちらも同じ土曜日のことです。この甘いケーキの膨らんだ生地は、なつかしい寝床のように安心感がありました。カップについた薄い生地の層まで、青虫は残さず食べたのでした。

 スイカ。
 きょうはとてもたくさんの食べ物を食べることができました。どの味もおもしろく、食べ進めるのは楽しかったのですが、ありのままのフルーツが恋しくなってきました。結局、スイカをそのままかじるのが一番おいしいのです。はじめて食べるスイカでしたが、そのままの自分の姿で勝負することの大切さをスイカから教えてもらったような気がしました。

 その晩、青虫はお腹が痛くて泣きました。
 自分の身体に合わないものをたくさん食べたせいかもしれません。お腹はこれまでにないくらい満たされていたのですが、スイカを食べたあたりから、どれだけたくさんのものを食べても満たされないものがあることに気づいてしまったのです。

 次の日はまた日曜日。青虫が生まれたのと同じ日です。
 体が大きくなった青虫は前より素早く自由に動き回ることができるようになりました。
 青虫は自分が生まれた場所に戻ってきました。
 その近くには、おいしそうな匂いがする葉っぱがたくさん生えていました。どれもとてもおいしい葉っぱでした。食べているとなつかしい感じがします。生まれたときには気づかなかったことに、きょうは気づけた気がしました。
 いつの間にかお腹の具合もすっかり良くなり、腹ペコでもなくなっていました。小さかった青虫は、大きく太っちょになっていて、なんだかひどく眠いのです。
 まもなく青虫はさなぎになって、何日も眠りました。身体が一度どろどろに溶けて、かたい殻のなかで新しい自分に生まれ変わっているのがわかりました。

 「あ、ちょうちょ!」
 夜の終わり、これから沈もうとするお月様が、さなぎから出てきた青虫を見つけて言いました。
 青虫はきれいなチョウチョになりました。これまで食べてきたものが、羽を彩ってくれているような気がしました。
 これでお月様やお日様がいるお空を、自由に飛べるようになったのです。



おわりに

『はらぺこあおむし』には新沢としひこさん作曲の歌もあって、そちらも素敵なので、まだ聞いたことがない方はぜひ聞いてみてくださいね。
(新沢としひこさんはCMでもよく使われている『にじ』の歌を作った人です。名曲多数)

以上でこのお話はおしまいです。
お付き合いいただきありがとうございました。

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