では改めて、RAS機能(と思いきや環世界と類友)
ということで
戻ってまいりました、RAS機能
脳幹網様体賦活系
うん、
ちゃんと覚えてました早口言葉笑
・見たいものしか見ない
という点において
そもそも経験上
築き上げてきた世界観でしか
物事をみていない
その枠組みを
環世界
というそうですが
この捉え方
私はとても好きで
文化の違いなんかが
とてもわかりやすいのですが
日本の幽霊といえば
足のない白装束が日本の場合
代表格なわけですけれど
韓国ではなんだか
モザイクがかかっているとか
ないとか
同じ類人猿から
進化を共にしてきたはずの
しかも同じアジア人のはずなのに
何かが違う
要は
日本人としての環世界
都道府県民としての環世界
市町村民としての環世界
性別や趣味嗜好
細分化すればもうキリがありません
・この環世界というのは
今まさに隣にいる人とだって
多いに異なっています
10人いれば
10個の環世界があります
見えているもの
感じとっているものが同じ
というのは
本当に無知で幻想的のようにすら
感じてしまいます
・類は友を呼ぶというのは
自ずと必然的で
社会性を欲する人類にとって
コミュニティの形成は
軽んじるべきところではありません
しかし
環世界の違いがあるはずなのに
それが叶わぬ環境に
身を投じてしまい
馴染めず苦しみを味わう
そんな現象が至るところで
発生しています
学校という環境なんかは
まさにそういう場所なのでしょう
・宗教に対して
私は肯定も否定もしませんが
コミュニティの受け皿として
各地に分布されているような
大きな宗派はなぜ需要があるのか
これは公私ともに
実に明確な類は友を呼ぶという
状況を生み出しているからに
他なりません
例えば引っ越し先で
新しくその地域や
職場学校に果たして馴染めるのか
誰しもが一抹の不安を覚える
かもしれんません、が
もしその宗派がそこにもあると
知っていたなら
ある意味安心材料のひとつとなります
システムという点において
実に合理的で理に適っているなと
コミュニティの確保
これが人類の本能と呼べるのだとしたら
類とも探しは必然なのでしょう
そこで
環世界の共有が可能な存在こそが
線引きとなるわけです
・例えば
私は本を読むのが好きなので
本を読んでいる人に
ついぞ目がいってしまいます
これは
紛れもなく私の環世界
本をきっかけに話題を
広げることも
可能になりやすいですし
繋がりを深めることも
可能になりやすい
本に興味がない人にとって
それはもはや空気となんら変わりません
・と、そんな重要でもないことに
何だか長々と時間を割いてしまいました笑
最後まで
お読みいただきありがとうございます
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