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成人式に行かなかったことを自慢げに語るのはやめよう

今日は成人の日ということで、成人式に関係するテーマで記事を書いてみたい。私のnoteを以前から読んでくださっている方にはいつものテーマからずれているように思われるかもしれないが、決してそんなことはないので安心してほしい。この記事は成人式というイベントを切り口に、人生における失敗や敗北、その先にある「社会の底辺への凋落」をテーマにしているからだ。

さて、本題に入る。内容はタイトルの通り、

「成人式に行かなかったことを自慢すべきではない」

というものだ。

毎年のことだが、成人式シーズンのSNS(というかX)では成人式に行かなかった自分の過去を同級生を貶めながら自慢げに語る者や、成人式というイベントがいかに下らないか(あるいは中学時代の同級生がいかに会う価値のない人間であるか)を語る新成人が現れる。そして似たような人間が集まって賛同しあっているのである。

はっきり言おう。
そんなものは惨めな敗北者たちの傷の舐め合いに過ぎない、と。

病気や何らかの都合で成人式に参加”できなかった”のではなく、自分の自由意思で成人式に参加”しなかった”人間は、例外なく人生の敗北者なのである。ましてや成人式に参加しなかった過去を自慢気に語るなど、単なる敗北者を超えて救いようがない恥知らずである。

なぜそう言えるのか?ここから詳細に解説していく。


成人式不参加自慢が恥知らずである理由

①コミュニティでの人間関係構築に失敗したという事実

通っていた中学が荒れた公立中だろうが、いけ好かない富裕層の子女が通う私立中だろうが、どんな環境だったにせよそのコミュニティ内でまともな人間関係構築に失敗した結果が「成人式なんて行きたくない(行く必要がない)」という状態なのである。この事実をまずは理解する必要がある。

成人式に行かなかったような人の多くにとって想像しがたいことかもしれないが、中学時代にまともに人間関係を構築できた人々には高校や大学に進学してからも定期的に中学時代の同級生と(それが大人数であれ少人数であれ)顔を合わせる機会が存在するものだ。そういった人間関係を築けた人は「成人式なんて行きたくない(行く必要がない)」という状態にはまずならないし、同窓会の出欠確認の返答が遅いようなら「お前、成人式来るよね?」という確認メッセージが来る。そういった状態であるから成人式に参加しないという選択肢が存在しないのである。

しかし、中学時代にまともな人間関係の構築に失敗した者にはそのような機会はない。中学を卒業してから同級生の誰とも連絡を取らず、誰とも会わず、「そろそろ成人式だね」という話題を話す相手もいなければ、「成人式来るよね?」の確認メッセージも来ない。そりゃそうだ。あなたのことを「同級生」とは思っていても、「友達」だとは誰も思っていないのだから。

卒業後に誰も連絡しようと思わないみんなにとってのモブ
人生の序盤において友達の一人も作れなかった人間関係の敗北者

それが客観的に見たあなたの姿なのだ。

②そんな自分を省みず他者を見下す腐った精神性

中学時代にまともな人間関係の構築に失敗したことが完全にあなたの落ち度や努力不足だけの結果ということはないだろう。しかし、あなたに全く落ち度や努力不足がなかったということもないはずだ

どんな環境であれ、周囲がどんな人間であれ、「100%いい人」がいないのと同じで「100%悪い人」だっていないし、「100%気の合う人」もいなければ「100%気の合わない人間」もいない。少なくとも、数十人の人間が集まるコミュニティ内で全員が「100%悪い人」だったり「100%気の合わない人」だったりするということはあり得ない。「自分の環境はそうだった」と言う人がいたら、残念ながら100%あなたに問題がある

嫌いな人間であってもいい部分は認めながら最低限の付き合い続ける中で、些細なきっかけで仲が深まることもある。部活や行事の中で気の合う部分が多い人を見つけて交友関係が広がることもある。そうやって多くの人は友達を作っているのだ。中学卒業後に連絡を取り合ったり定期的に会ったりする関係を築けなかった人は当時のことを思い出してみてほしい。

積極的に他者と関わる努力をしただろうか?
他人のいい部分を認めようとしただろうか?
成績の悪さや言動の幼稚さなど、「悪い(とあなたが判断した)部分」にばかり目を向けて侮蔑的な態度を取らなかっただろうか?

自己評価がどうであれ、「中学時代にまともな人間関係の構築に失敗した」という事実がすべてを物語っている。人間関係構築におけるあなたの姿勢は、あなたの努力は、決して十分ではなかったということなのだ。

そんな自分を省みるどころか、

「成人式(同窓会)なんてくだらない」
「あんな同級生たちに会う価値なんてない」
「地元しか世界を知らないマイルドヤンキーたち」

などと他者を侮辱しているのが「成人式不参加自慢」をしている人たちなのだ。これを「救いようのない恥知らず」と言わずしてなんと言うのだろうか?

その腐った精神性こそが敗北者が敗北者たる所以であり、成人後の人生でも敗北し続ける理由なのである。

③自分が成長していないから他人の成長も想像できない

敗北者たちと同様に中学時代にまともな人間関係を築けなかった人の中にも、勇気を出して成人式に参加する人もいる。そして、そういう人たちの多くは成人式に参加したことをいい思い出として語っている傾向がある。

彼らと敗北者の違いは何なのだろうか?恐らくだが、

「”自分は成長した”という実感を持てているかどうか」

という違いではないかと考えている。

中学時代までに人間関係の構築に失敗したという事実を受け止め、高校や大学では他者との接し方を真剣に考えながら日々を過ごし、実際にポジティブな結果が出ることで自分の成長を実感する。それができたからこそ「5年ぶりに会う同級生たちとも上手く接することができる」という自信が湧くのではないだろうか?

また、自分が成長した経験があるからこそ敗北者たちのように

「どうせあいつらは変わっていない」
「いつまでも成長しないマイルドヤンキー」

などと妄想することなく、同級生(とりわけ当時は苦手だった人)たちの成長や変化も想像することができるのではないだろうか?そして多くの場合は実際に成人式で会ってその実感を得られるからこそ、彼らは「成人式に行ってよかった」と語るのだろう。

一方の敗北者たちは自分自身の対人能力を反省することなく、当然の結果として成長を実感する機会もなく、それゆえに同級生たちの成長や変化を想像することもできない。その結果として「成人式に参加しない」という選択をするのはまだマシな方で、まかり間違って参加してしまうと同級生たちの成長や会話の空気のことなど気にせず(対人スキルの低さゆえに認知できず)、

「あの時お前に~なんて言われて~」
「あの時のお前に~されたこと、今でも覚えていて~」

みたいな話題を笑えない雰囲気で蒸し返して場を白けさせたりするのである。

こうして考えてみると、成人式に参加するかどうか(あるいは参加してどのような振る舞いをするか)は単に「懐かしむ思い出や友人がいるか」という次元の話ではなく、人生序盤の対人能力の総合成績発表と言っても過言ではないのかもしれない。

敗北は続く、成人後も

自分の対人スキルの低さ、その結果としての人間関係構築の失敗…

それらを省みて自らを改善するという行動ができなかった敗北者たちは、成人後の人生でも順調に敗北を重ねていく。

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