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なぜ左翼活動家は生活保護バッシングにつながるデモを起こすのか?
またも生活保護バッシングがネットで巻き起こった。
今回のバッシングのきっかけとなったのは、今月1日に京都市で行われた「生存権を求める京都デモ」について報じた朝日新聞の記事だ。
バッシングのトリガーとなったのは記事の冒頭に書れている生活保護利用者と支援者による「訴え」で、
「たまには旅行に行きたいぞ」
「たまにはオシャレもしたいぞ」
「たまにはウナギも食べたいぞ」
などといった文言が日々労働に追われる普通の人々の怒りを買ったというわけだ。
普通に働いている人々の多くは旅行もオシャレもウナギも我慢しながら日々を送っており(そもそもフルタイムで働いている人々が旅行やオシャレやウナギをたまに楽しむことすら難しい賃金が許されている状況も問題なのだが、今回はその論点は置いておく)、彼らが納める税金で生活保護受給者は生きている。
それなのに、「生活保護受給者の旅行とオシャレとウナギのために生活保護をもっと充実させろ(もっと税金を生活保護に回せ)」というメッセージとして受け止められるデモをすれば、働く人々が怒りを抱くのは当然のことだ。「こんなデモをしてる時間と体力があるなら働け」という怒りは正論と言わざるを得ない。
以上が今回の生活保護バッシングの顛末なのだが、「働く人々の感情を逆撫でするようなデモや政治運動が定期的に起きる」という印象を多くの人が抱いているのではないだろうか?
この記事では、
「なぜ働く人々の怒りを買うのが明白なデモが行われがちなのか?」
という点を考えていきたい。
生活保護デモが労働者の感情を逆撫でする理由
常識的に考えて、生活保護受給者が「旅行やオシャレやウナギを楽しませろ」みたいな主張をしながら堂々とデモ行進なんかすれば、社会の大多数である働く人々の生活保護への反感は強まるに決まっている。こんなことは小学生でも理解できることだろう。
では、なぜ生活保護デモは労働者の感情を逆撫でするものになりがちなのか?
その背景にあるのは、
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