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オレが観たいのはオマエの臓物なんだよ。

毎日更新すると言ったのに2日しか続かなかったのは、忙しかったからだよ!いや、すまん。書こうと思ったら午前零時を回っていて

「今日はいいや」

とかいって書くのあきらめてた。これだからダメなんだよ……。

本題。先日、2つの映画をハシゴした。どちらも楽しめたのだが、何か物足りない。
「この物足りなさは、なんだろうなあ?」と考えるまでもなく、答えが浮かぶ。

「こういうのが見たいんでしょ?」

そんな姿勢を感じてしまったのだ。
観客を意識して映画を作るのは至極当然のこと。
しかし、その意図を見えてしまうと、途端に気持ちが萎えてしまうのだ。
暴力を描いた映画では特にそれが顕著になる。

ほれ、こういう殺しが見たいんでしょ?
ほら、こんなに卑劣な行為が面白いんでしょ?

ノンノン。オレが観たいのは

「俺様は、これがやりたいんだ!」

そんな制作者たちの赤裸々な臓物だ。

衝動で作った作品は制作者の臓物を見るような感覚がある。
衝動は暴力表現にとどまらず、単に「金儲けがしたい」でもいい。
なぜなら残酷表現の原点グランギニョルは通常生活では見られない悪趣味な光景を窃視する感覚を享受することでエクスプロイトしていたからだ。

この臓物観察感覚。インディーズホラーでは(オレが思っているだけかもしれないが)よくあることで、いくら独りよがりで退屈でも
作り手の臓物が見えたら、みっけもんである。

故に、オレは延々と日本公開されないようなホラー映画を掘り続けている。

最近はめっきり減ってしまったが、たまーーーに、"いいモツ"を見つけることができる。
完全商業作品でもエンタメと臓物を両立している器用な作品もそこそこある。

しかし、冒頭に書いた2作品はダメだった。どちらの映画の制作者も昔は自分の臓物をひけらかしていたのにな。
またやってくんねぇかな。

所用時間:11分(帰りの電車にて)
画像:腸捻転を起こした羊の臓物

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