大盛りをやめた。
いつのまにか、餃子の王将の5%割引券をゲットしていた。
前の職場では、同僚とよく王将にいっていたけれど、スタンプをためることがめんどくさくて、スタンプカードをなくしてしまって、ついぞカードをゲットすることはなかった。
アプリになってから、毎月餃子無料券が配信されることもあり、意識することなく、スタンプをためていた。いつのまにか、割引カードをゲットしていた。
根性や努力について、ある種の意志めいたものも含めて、僕はあまりその存在を肯定していない。まぁそこまでいうと、ちょっと表現が強いので、ありがたみを感じない、といった方がいいかもしれない。
環境を用意してやる、ということが自分に対しても他者に対しても必要なことなのだな、と様々な場面で思う。餃子の王将のアプリも環境の一つである。
昔はキムチチャーハンの大盛りしか食べなかった。なぜだろう。
家族が餃子を頼んだら、つまむぐらい。父親は瓶ビールをよく頼んでいた。僕はなんとなく父親に酌をしていた。
大学の時はちゃんぽん麺にはまった。母親がよくちゃんぽん麺のニンニク抜きを頼んでいた。豚肉が食べられないので、豚肉だけ僕によこしていた。
ちゃんぽん麺は大盛りにできるかどうかわからない。ちゃんぽん麺とチャーハンとかそういう組み合わせが多くなった。
今日は餃子セットを頼んだ。定食のライスを大盛りにしようか、一瞬迷ったけれどやめた。
大盛りをやめてみようと思った。もっと食べたいというか、食べられるのだけれど、このご飯が最後の晩餐になるわけではないし、仮に最後の晩餐になったとしても、食事だけが生きがいというか、そういうものでもない。
時間を計って何かをするということを意識的に続けている。
本を読むにしても、10分や15分など区切って読む。もう少し読みたいな、と思うことあるけれど、そのモチベーションは次回まで取っておくべきである。
満足するまで読んでしまうと、次に読むときにエネルギーが必要になる。よっこいしょ感というのかな。
これは一つ大事な気づきだと思う。
このnoteを書いていても、書き出しが難しいけれど、書いてしまえばのってくる。言いたいことが見えてくる。
ただ、筆が乗ってくると、もう1000文字達成してしまって、無理やり筆をおく。
内容じゃなくて、毎日触ることが大事なのだな、と自分に言い聞かせながら。