なんだか調子が悪いけれど、こういうときにこそ、じっとしておく方が、つまり不調と同居することが必要なんだよ。
さくさくっと日記を書いていく。
机上の空論について考えた。
やってみたいな、と思うこと、できるかなと思ったことを実際にやってみる。
あ、やってみてしまうと机上の空論ではなくなってしまうのだけれど、みなさんはそういうのないだろうか。ああ、こうすればよかった、という後悔を薄っすらとしつつ、その次に来るやらなければならないことの波にのまれていく。
机上の空論は、やる必要がないこと、やったほうがいいことではあるが、やらないといけない強制力が働くわけではない。
強制力がなくてもそれができるということはどういうことだろうか。つまり、人生における無駄を敢行できる、ということである。
僕にとってnote更新はこれに近いものがあって、曲がりなりにも50日ほど毎日意味もなく更新をしていた。数日はタイトルだけ更新してことたれりとしていたけれど。
さて、机上の空論を新しくぶち上げて何か行っていこう。例えば朝掃除をするとか。
最近読んだ本の影響で自分の部屋にこもっている(今もこもっている)ので、変化しつつある。変化するついでにちょっと遊び心というか身体論というかそういうったものをやっていく。
なかなかどうして僕のnoteは具体が欠けていてエッセー感がないので、エッセー感モリモリのnoteを毎日更新していく。これはこれで机上の空論だろう。
料理することは結構好きで、ニートの時は味の南蛮漬けとか、大学生の時は流石に揚げ物は難しかったので、パスタとか餃子とか作っていた。
特に餃子は作るのも食べるのも好きで、今日も餃子を包んだ。一番ピークに時間が余っていた時は、皮まで自分で作っていたけれど最近はもっぱら市販の皮で作っている。作っているが別にまずいわけでもなく、これはこれでおいしいし、これはこれでおいしいと思える自分はなんだかいいなと勝手に自己肯定感を増している。
家で餃子を作るときは焼くと難しいので必然的に水餃子になる。ポン酢でいただくのが基本になる。焼き餃子の場合は餃子のたれ的なsomethingでいただくのに、鍋になってしまうとなんでも(さすがにキムチ鍋の場合はつかわないけれど)ポン酢を使う。僕のよくわからない拘りの一つかもしれない。