解決とか、結論のためではなく、むしろその都度気分がよくなるために。
頑張らずにエッセイを書きたいと思ったので、さぼらずに書いている。
もう眠い。
22時に寝る人間なのに、21時半に帰宅した。
今日は諦めてとっとと寝る方がよかったかもしれない。
でもしかたない。
晩ご飯を食べた後に、ケーキがあったのでそれを食べた。
コーヒーも飲んだ。
お風呂で髭を剃ることを始めたので、ぱっとお風呂に入ってしゅっと寝ようと思っていたけれど、髭もじっくりそった。
睡眠時間が犠牲になりそうだけれど、こういう日のために意味も無く早起きをしていたので、明日は6時に目覚ましをセットすることにする。睡眠時間自体は変わらない。意味も無い行動に意味を付与してしまった。
今抱えている案件は5件ぐらいある。
これはまぁなんとかなりそうだなと無責任に思っている。
なぜかというと、いろんな概念をこの二ヶ月あたりでゲットしているからである。
一つには叩き台理論。
思いついたことをとりあえず形にしてみる。
良いとか悪いとかわからない状態で、形にしちゃう。
僕は、毎日こうやってよくわからないことを形にしてしまう練習をしているようなものだ。
そして大事なことは、その形にした物を誰かに見てもらったりする。
上手くいくかどうかわからないけれど、そういうものだ、と思っている。むしろ、結果に焦点を当てるのでは無く、過程を重んじるような態度である。
最近これをゲットした。
今まではなんだか結果にこだわっていて、失敗したりすることを避けよう避けようとしていた。
でもまぁ、その失敗とか挫折みたいなものも、結論というものではない。
じゃあどうしようか。
というフレーズで乗り切れることが多い。
乗り切れるというか、フェーズを変更する。
ああ、もうお終いだ、と嘆いて見せるよりも、何かできることはないか、と考える方向にエネルギーを注ぐ。
ただ、これは解決することを大事にする考えでは無い。
解決しなくともそこでふよふよと漂うために、自分を支えてくれる棒みたいなものである。
じゃあ、どうしようか。
ということを、本当に解決するために言っているというよりは、むしろ解決や失敗を先に送るために、ゆっくり取り組むために、一呼吸置くということだろう。
あと150文字書かなければならない。
じゃあどうしようか。
書いている内に眠気がきて、さっきのコーヒーはどこにいったのだろうか。
炊き込みご飯を久しぶりにたべた。
頑張らずに書けたと思う。