外でポメラを使うだけで。

バス停でバスを待っている。
その間にポメラを使っている。
家にいるときよりも少し明るいバックライトの設定にしないと文字が見えない。心なしか最近キーボードを優しくタイプできるようになってきている。
そろそろバスが来るが、おなかが痛くなってきている。1時間弱バスに乗るのにこれは幸先が悪いが仕方が無い。大人になると言うことは自分のことを管理しきるのでは無く、管理しきれないことを受け入れられるということか。

当然のように時刻通りにバスが来たので、バスに乗った。
以前勤めていた職場ではバス通勤だった。
その時間本を読む振りをして良く寝ていた。
僕の家は駅から遠い。そのため、バスも長時間乗らないといけない。
ただ、そのおかげで必ず座席に座ることができた。
電車だと、そこまで長時間乗らないのであまり座席に座らないようにしている。座席を高齢者の方などに譲ると断られたり遠慮されたりしてしまうことがあったので、もうそもそも座らない、というストロングスタイルを作り上げたのだった。この発想は、問題を見つけて、じゃあどうしようか、ということを考えられているなぁと我ながら思う。とても小さいことなのだけれど、人生において必要な小さいことだと思う。むしろ、小さいこともまた良いことであって、大きな決断や行動をするということは、なかなか大変でエネルギーを使うのである。

秋祭りも終わり、その名残が漂っている。天が高い。
車は少ない。バスの前には軽トラックが走っていて、当然のように荷台におじさんが座っている。多分これは厳密には自転車の二人乗りのようにいけないことなのだろう。ただ、いけないことということは、できないことではない。バスしか通らない道をゆっくり抜けていく。

僕は車の運転はむしろ好きな方だけれど、こうやって、しっとりとバスに乗っていくということは、月に一度ぐらいは行ってもいいんじゃ無いか、と思う。
どうしても職場の時間が多すぎて、趣味的な物を見つけたいなぁともくろんでいる物の、そんな大それたことではなく、こうやって、いつもの道をいつもと少し違う形で、小さく触れてみる、ということがセルフケア的なのだろう。意味も無くドライブするがごとく、意味も無くバスにのって移動するのも良い。

店先ではなく、外でポメラを初めて使ってみた。とても楽しい。
スマホだと小さくて、パソコンだと大きい。ポメラでしか埋められない心の隙間をうめてくれそう。もちろん埋めるのは僕自身だ。

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