血となり、骨となるには。

自分で決めることの大切さはよくわかる。
なぜなら僕は、主体的ということをちやほやする職場に勤めている。
自分で決めたから尊重する、というのもどうなのだろうか、と思わなくはない。
むしろ、決め方に問題がある気がする。

自分がやりたいこと、というのは何の影響を受けているのだろうか。
他者の存在なくして、自分がやりたいと言うことは何も生まれない。
ある事物への反応としてしか僕たちは決定することができない。

その意味では僕たちは憧れ、というかロールモデルのようなものを多かれ少なかれ持っているはずである。

僕の場合は誰だろうか。
やはり西部邁先生だろうか。
もちろん、直接あったことは無い。私淑しているだけである。

一時期、動画をたくさんみた。本もいくつか持っている。
何度も読み返して、あまり意味がわからなかったり挫折した本もある。
『知性の構造』から読み始めたのは、蛮勇というものだろう。

ただ、僕が熱狂を避けるということに熱狂する、という、主義では無い保守思想というものに出会うきっかけを得たのは間違いなく西部先生のおかげである、と勝手に思う。

当然、高校の時はネトウヨのような感じで、当時は政権交代するとかなんとかで父親と軽くもめた気もする。
今思うと微笑ましい。
そこからTPPか何かの話をネットで見て、中野先生を知って、中野先生に先生がいることを知った。
僕としてはなかなかナイスな道のりだと思う。
ではその先生の先生とは・・・?
福田恒存と考え方が似ている、と何かの本で読んだことがある。
ただ、西部先生の場合は和魂洋才といったところで、西洋の思想家の影響を大いに受けている、とのことだった。
『思想の英雄たち』という本を何度も読んだ。
そこで初めてニーチェやバーク、ハイエクなどの名前を知った。
もちろん、そこから僕がそういう思想にのめり込んだ・・・というわけではない。あまり詳しくない。大学の時にニーチェを読もうとしてやはりよした。
『虚無の構造』では、ハイデガーについて書かれていた。
僕は全くもって門外漢だったけれど、大学で考えたことの萌芽はおそらくその読書経験に基づくものだろう。

今『英語バカのすすめ』を読んでいる。
勉強し直したときに三角ロジックを学んで大いに感動した著者だった。
その先生が自伝のようなものを書いている。結構面白い。
ぱーっと読み流している。なんだか英語を勉強しようと思える。
ハノンを再開したのもそのためである。
旧ツイッターに毎日投稿しようかな、ともくろんでいる。
いつまで続くかわからないけれど、何をするにも、もちろん読書をするにも感動ということは大事である。
西部先生からは大いに感動させられたことをふと思い出した。

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