認められるためには、認められるまで認められたいと言い続けるか、認められることを諦めるかの二択しかない。

ポケモンカードを久しぶりにやっている。
やっているといっても、大会にでるとかではなく、友達とまったりやっている。
500円のデッキがあるから、それを何パターンか購入して交換したりしながら楽しんでいる。

ゲームでもなんでも、ガチってしまうと、楽しみというものが損なわれる気がする。
というより、勝つことを至上にしてしまうのだろう。両者が勝つことはないし、勝ち続けることは困難極まりないので難しい。弱い相手と戦って勝ってもうれしくないというようなメンタルになってしまう。

コレクター気質はないものの、眺めているだけでも楽しい気がしている。
ちょっと値段の高いスターターを買ってみると、やはり強いカードがそろっている。もうすぐ新しいスターターも発売されるらしい。少しずつ楽しんできたい。

こういうものに、熱しやすく冷めやすい傾向がある。
のめりこんではいけないと思う。寝食を忘れてしまうし、その割に僕はいい成績を残せるタイプではない。いわゆるプロゲーマーのようなものにはなることはついぞかなわないのである。
だからこれは、趣味的な領域に抑えておくべきである。
むしろ、趣味的な領域に抑えていくことすらも、趣味的に行われていく。
ある種の縛りプレイのようなものが大事なのだな、と何かのタイミングで考えたことがある。
楽しいということは、おもしろいということと同じようにいろいろなものを無視してなぎ倒してしまうような言動を正当化してしまう。

僕は書くことにはのめりこみたいなと思っているし、その弊害は薄いと思っている。こうやって書き連ねることは誰に迷惑をかけているわけでもないし、趣味的である程度のまとまりをもっている。
それでいて僕自身が僕自身の身の回りの世界を肯定することができている。
そんな行為はなかなか珍しい。書く事が基本的になっている。

聴くこともある程度その枠組みに当てはまるのだけれど、どうにも自己犠牲な感じが否めない。それで世界がうまくいくのならそれでいいとは思う。思うけれど、僕は同時に、自分が認められたいという欲求、衝動をもっている。
それの獲得方法はもうわかってしまっている。何かを極端にするのではなく、地道に続けること以外にその道はない。平凡の非凡を言い続けていく。

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