文体というより口調を整えたいわね。
後先を考えずに何かを行うということは、人生の場面で必要かなぁと思う。
勇ましいことをいっているわけではなくて、結果で評価されてしまうことが多いということだ。
そして、案外良い結果も出てくることがある。
今日もこうして、後先を考えずに書いている。書くことは後を考えることでは無く、今を考える営みなんだろうと開き直りながら。
人間の脳みそは徹底的に考えることはできない。
というより、考えることはできても、現実がその上をいく。
だから、うまくいかないということに出くわしてもへこむ必要もないな、とぼんやり思う。
むしろ、現状がはっきりしてくるので、ちょっと落ち着けるチャンスだ
そう、落ち着くことが大事なんだ。
ゆるやかに何かをする、ということは簡単なようで難しいよね。
ついつい、言い訳をして、急いでしまったり、立ち止まれなくなる。
ただ、僕たちに必要なことは、何はともあれ時間をかける、ということである。
もちろん、そこで丁寧に取り組んでもいいし、何もしなくてもいい。何もしないというのはなかなか難しいけれど。
適当に言っているわけではなくて、時間をかける、ということはそれほどに価値があるということである。
僕はこうやって毎日(たまにさぼりつつ)noteを書いていると、時間のことを考える。
一応、前まではスマホのタイマーで10分計って1000文字ぐらいかけたら喜んでいたけれど、なんだか次のステップに来ている気がする。
その一つの理由は、書き終わった後にちゃあんと読み返して、校閲というか書き直しタイムを導入するようになった。だいたい3分ぐらいしか時間をかけてはいないけれど、わざわざ時間をかけている、という感じがある。
noteを書くことは、もはや僕の中では時間をかけている、という対象にはなっていないのかもしれない。
習慣になっている、というと聞こえはいいけれど、ある程度の抵抗感の中でしか得られない物はある。そこで、別のやり方で時間をかけようと思ったわけだな、と自分で冷静に分析をしてみている。
今週はちょっと忙しくて、いろんなことをやらないといけない、という感じだった。
ただ、一つ一つをゆるやかに受け止めて、時間をかけて、考えることができたと思う。
何よりこうやって、時間をかけることが大事だなんてとても当たり前なことを発見することができて、今日もこうやってnoteを書いて良かった、と思えることが何より嬉しい。
ゆるさにも安定した自己肯定感のようなものが必要なのかもしれない、と思いつつ、鶏たまご問題の萌芽を見る。