今日もいい日だったなと思えるかどうか。

何かをやめたことがあるだろうか。あるか。覚えてる?
僕にはもちろんたくさんある。
そこで、後悔がたくさん生まれた。
自分はなんてだめなやつなんだと、誰も聞いていないのに、聞いていないからこそ自分のことを口汚く罵った。
そうすると、なんだか自分は責められて、責任を果たしたような、そんな錯覚に陥っていた。

僕が好きな知識人が、反省ということをしたことがない、とおっしゃっていた。
そのときの僕は反省ばかりしていた。だから未だに覚えている。
もちろん、反省ばかりしていたから、それが次にというかそのときに何かに繋がりはしていなかった。

しかし、反省がだめだとはあまり思えない。
今の僕には、過去の自分のやったことだな、という受け止めでいいと思う。
反省したことがない、と宣言することは、ちょっとマッチョすぎな発想じゃないですか先生、と私淑していた僕は思う。
その先生は残念なことにとてもマッチョな最後を選ばれた。

その理由は、後悔とか反省とか、そういうことなんじゃないかなとふと思う。
彼は愛妻家だったらしい。
2人の中でリズムが生まれていたんだろう。
ただ、一人になったときに、一体どうしたらよかったのだろうか、と考えてしまったのかもしれない。

僕は何度となく彼の本に励まされた。
知性の構造という本の後書きがとても好きだ。
彼の本はとある図書館で1冊を除いて焚書されたことがあった。
そのことを引き合いに出して、次の焚書の際にはこの本だけは焚書しないでほしいと、そうすれば、この本に関わってくれた人たちが救われる、とかなんとか書いていた。

また、若者を励ますつもりで書いた、と書いていた。
可能性としてはほとんどないだろうけれども、まったくないとも言い切れない、とも書かれていた。
実際、僕は励まされた。
どんなに地表がひび割れていてもそこを正しく進むしか無い、ということじゃなかったのか。

と思いつつ、やはり人間は強くは無いというか、弱さをもっている、というのが僕の実感である。

僕は今平然と働いている。未だにその仕事の実感というものはない。
強い側の人間と目されているのかもしれない。
そんなことはないのだけれど、と思いつつ、そういうバランスを取っていかないと、僕が今なんとか安定しているところから崩れ落ちるのは早いのだろう、と師匠ではないものの、先生のことを考えると、思わざるを得ない。

内容では無く身振りが大事なんだな、と思っている。
明日も穏やかに生きていきたい。

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