過集中ではなくて。

自分ですでに行っていたことを、改めて言語化というか概念化する、ということが最近多い。
このnoteを書くときには、基本的に10分タイマーをセットして、その画面を見えないようにする。
あとはもう自分の打った文言とにらめっこしながら両手の指でキーボードを叩き続ける。
この画面を見ないということはなかなか重要である。
時間を意識しないということだろう。
意識すると下心のようなものがでてしまう。早く書かなければならないとか、もうこんなに時間が経ってしまったとかそういう関係ない、邪念を嫌でも考えてしまう。
そう考えてみると文字数も自分は極力見ないようにしている。1000文字が近づいてたときは、それを指標にウィニングランすることになるが、まだ300文字かと思ってしまうととたんに書くスピードが遅くなってしまう。
何も早く書ければいいというわけではないが、これは僕のフリーライティングなので、頭を使うだけの時間を用意してはいけない、と思っている。書きながら読みながら頭を働かせる訓練のようなものである。
だから僕は音楽やラジオを聴きながらこれを書く事はしない。
家事のときはよく聞くのだけれど、音楽やラジオはこの作業においては足手まといというか、聴覚に意識のエネルギーを持っていかれるのが嫌だというか。
もちろん日によってはテレビをみながらとかラジオ・ユーチューブを観ながら書いたりもする。するけれど、なんだか書いた感じがしない。そこから入ってくる情報をそのまま書く事はできるけれど、自分の中で少しだけぐるぐる消化してから吐き出してみたいと思う。
文書の書き方なんて自由であってよくて、そういう制限がある種の規範性を生んでしまう、ということはよくわかる。
だけれど、自分にとっては、文章を書きたいのではなくて、10分間決めた作業に集中する、ということがメインターゲットである。毎日エッセー的なものを量産するということはあくまでサブである。ただ、サブだからどうでもいいということではなく、サブだから大事であって、それを達成するための環境整備が、メインターゲットのために行われる整備よりもかえっていい影響を及ぼしてくれることが多々ある。
書くということの難しさと楽しさをそこに感じている。

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