それは誰が決めたのか?

ポイントをためるということを今までやっていなかった。
意識してやっていない、というのが正しい。
楽天ペイはなんとなく使うときがあった。
ただ、チャージとかそういうのめんどくさくてやっていなかった。

それをこれからやってみようと思う。めんどくさいと言うことを見つけてしまったから。
なんという運命だろうか。と、大仰に捉えることもない。
ただ、今までなんとなく楽天ペイしていたものをチャージしてカードに付加するだけでいい。

人生において、頭の中で考えているだけではうまくいかないことというのはよくある。
実際に行動することは、とても偉い。
効果テキメンである。
自他共に説得力がある。

ただ、頭の中でこねくり回したり、やろうかどうしようか逡巡することの価値のようなものは捨てたくもない。

それは何か効果があるというわけではない。
むしろ、効果があることしかできないような狭隘な人間になりたくない、ということと、効果ぐらい自分で見つけたい、という独りよがりな部分がある。

ひねくれているのか、あまのじゃくなのか。
名称を付けることすらそこまで拘りはない。

ポケモンが好きでよくやっていた。
けれど、ニックネームを付けるのが苦手だった。
ゼニガメとかなら、ゼニとかにするぐらいだった。
たまに人の名前にしてみたりしたけど、違和感があったり、捕まえた瞬間にニックネームを付けますか?という問いかけにためらっていいえを押したりしていた。

ニコニコ動画でポケモンの実況動画を見たりする度に、憧れていた。ニックネームを付けてポケモンを楽しんでいる姿に。
対戦動画とか、厳選した自分のポケモンにニックネームを付けて性別や設定なんかも拘ってつけてみたりして、そういう上手な楽しみ方みたいなものに僕はずっと憧れていた。

じゃあ自分もやったらいいじゃないか。そう思われるかもしれない。
けれど、これはなかなか納得してもらえないかもしれないが、僕は徹底することができないのである。

と、文字にしてみると不思議なもので、本当にそうなのか?と疑ってくる自分がいる。
正確にはその自分は、自分というよりは、大学の時にお世話になった教授の姿をしているのではある。
『それは誰が決めたのか?』と聞いてくる。

なぜか後ろめたい気持ちを感じながら自分です、と良く答えたものである。
楽しめないなんて決めつけることはない。
やってみないとわからない、なんて嫌いな台詞を最近はいろんな場面でしみじみと感じる。

いいなと思ったら応援しよう!