ゲームを楽しむということを意識しないと楽しめなくなったということは、何かを失ったのではなく、いろんなことを得たことの副作用だと思うことにした。
さわやかさということとは無縁の日々を送ってきた。
最近は髭を毎日剃っているし、筋トレもしているのである程度さわやかさというものが得られているはずである。
大学の時髭を剃るのがめんどくさくなって、逆にどこまで伸びるか試してみたことがあった。ただ、なんだろう、いい感じに生えなくてなんだか変だった。もじゃもじゃーとなることもなかった。密度が高くなかったので、長いひげがまばらに生えていた。今思うとちょっと切って整えたりしたらまーだましだったのかもしれない。
でも、当時の僕はそういうことが嫌だったのだ、しかたない。
あの時ああしておけばよかった、と思うことは少なくない。
勉強なんてまさにその最たる例だろう。僕の場合は結局そのまままるっと勉強し直したので、そこまで後悔はない。
最近ドラクエⅢのリメイクのニュースを観た。僕もなんどかプレイしたことがある。ただ、ドラクエと聞くとⅪを思い出す。
大学の時に勢いで買ったドラクエⅪ。ほんの序盤だけプレイして、なんだかノレなかった。そして友達に売った。
今は逆にⅪをプレイしてみたくなっている。でももう手元にはない。
いっそ、Ⅰからちゃんとやってみるのもいいかもしれない、とすら思っている。
いつからか、RPGなどを攻略サイトをみてプレイするようになっていた。
例えば、アナザーエデンというソシャゲがある。
リセマラとか、攻略とか、効率とか、そういうことを攻略サイトで調べて、その通りにやってみて、そして満足したことにする、というところまでがパッケージだった。
小さなメダルの場所をサイトで調べて全部あつめて嬉しいと思っていた。
ただ、なんだろう。ゲームというのは、そういう効率とか、攻略というようなものとは無縁のところにあるんじゃないだろうか、とそんなある種きれいごとのようなことを考えている。
僕自身社会人として日々時間のない中でゲームをやろうと思うと、そしてRPGなんぞをやると、そりゃ攻略サイトをみてやりたくなる。ただ、最近はもうそういうのもいいかな、と考えている。
どういうことかというと、勢いよくプレイして、勢いよくクリアしても、また次のゲームがやってくるというベルトコンベア状態になってしまう。ということである。
だから、というわけではないのだけれど、オクトパストラベラーを何もみないでとても効率悪く今楽しんでいる。楽しい。