1分着手を信じる自分を信じる。

頭の中にある物を書いたところで整理できたり、保存できたりできるかどうか、僕にはわからない。ただ、気休めぐらいにはなるな、と思う。
気休めになるぐらいなら、やったほうがいい。まずはリラックスをしよう。

文字にするということは、難しい。思ったように書けない。書けない方がいい。不思議なもので、ある程度書いてしまうと、自分が思ったことがその文字によって修正される。書いてみると、実は思ったように書けていないのだけれど、その文字通りに自分が思っていると思える。
思考は錯綜するが、文字は逃げたりはしない。
その意味で、落ち着ける。地に足をつけることができるかもしれない。

今はタスクシュートの使い方をうんうんうねっている。

プロジェクトノートというものを作っている。
タスクシュートクラウド2のプロジェクトの機能ということではなく、独自にやっている。
ポメラにそういった名前をフォルダを作っている。
ここに、順算的に行いたいことを並べる。
理論的にはこれを毎日触れば少しずつ仕事やらなんやらが片付いたり見通しが立てたりする。
逆算的にならずにすむ、という机上の空論である。

これがなぜ机上の空論かというと、単純に毎日触れていないからである。平日仕事から帰ったとき、使える時間は限られている。10時には寝ようというのはプロジェクトノートを触るよりも上位概念であるために結局触れない日が続き、土日にはすっかりその存在を忘れてしまう。

いや、正確には覚えているのだけれど、平日に触れ無かったことを少し後悔してしまって、土日に取り返そうとかまえてしまう。
かまえてしまうと、どうにも手柄のようなものがほしくなる。
そうすると、時間やエネルギーをかけなければ、できなくなる、と思い込む。

去年の3月ぐらいのノートがでてきて久しぶりに読み返した。
当時は先送りゼロを読んでいた。
1分着手という素晴らしいメソッドがある。これを思い出した。
プロジェクトノートに対して平日だろうがなんだろうが、これを適応すればいいんじゃね?という当たり前すぎることに気がついた。

今ポメラにプロジェクトノートを集約している。
確認したら27個あった。
もう死んでいるプロジェクトもある。
これを書き終わったあとに、お風呂を沸かし、その間に死んでいるプロジェクトノートを削除しつつ、すべてに1分着手をまずしてみようと思う。

1分着手は日々の継続も、こうやって挫折からの復帰も助けてくれるナイスな概念だと感じる。
1分で何ができるのか、と思うかもしれない。僕も特に何も出来ないかもしれない、と思っている。

ただ、行動しないで何かを信じるよりは、1分でも行動することをまずは信じてみると世界は動き出す。

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