日記0701
ちゃぶ台をひっくり返すようなことを考えてしまうというのも、哲学を志す者の持っている素養の一つである。
破壊衝動というか、むしろ石橋をたたいて渡ろうとするような、誰もが持ち合わせる臆病な気持ちから発するその小さな一撃が、すべてを打ち壊しかねないこともある。そういうことはなかなかわかられない。
僕自身も、頭ではそういったことを避けた方がいいとわかってはいるが、気持ちというか身体というか口・ベロレベルでは軽々とそういったことを言って、しまいとしたいことが多い。
幸か不幸かある程度公的な仕事をしているので、余計にその間に挟まっている感じがするのかもしれない。でも僕は今それが心地いい、と感じる。
世間一般的にはあまり褒められた態度ではないだろうし、実際問題よくわからない雑事に追われることが多い(そして今も結構そういう雑事を抱えているのだけれど)が、それが楽しいと思う。
少し前までは空元気でそう思おうとしてうまくいかなかったところもあるが、今はなんというか、口幅ったい言い方をすると自然体でいられるような、そういった気持ちである。疲れることは疲れるが、今日は金曜日にもかかわらず穏やかな気持ちでいる。いや毎回穏やかな気持ちでいるのだけれど。
ボーナスが出たが特にほしいものがないという悲しい現実を追いやるように、youtubeで見た筆箱やら本やらをぽちぽちとしている。それこそが悲しい気もしてくる。
明日は独りで焼肉でも食べに行こう。悲しみというのは拭い去ることはできない。一時忘れるだけで、それは付きまとっている。だから別に問題ではないのである。思い出すだけで、発見するのではない。孤独というものが悪いのではなく悲しみということを大仰に悲しんで見せる態度ということのほうがはるかに問題である。僕らは一緒に一人で生きていくしかない、という強がりは好きではない。ただ、人には理解されたくない悲しみというものを背負って生きていく人もいるということだけはわかってほしい。わかってほしいのかどうかもよくわからない。そういうことを、ポエミーな内容をちまちまと考えてい自分の中で発酵させるというのは健康によろしくないと思うので、こうやって自分の外に切り出している。日記とは?という話ではあるが、日記とわざわざ書いて日記を書くというのも僕の美学めいたものに反するというもの。