昨日の僕とは別人だから。
世界を救うにはおそらく、いいことをするというよりは、どうでもいいことをする、ということが大事なのだと勝手に思っている。
つまり、役に立たない趣味のようなものである。
それも、どうやらコレクターのように徹底するということではなく、すごい雑に。
そういう全行動肯定マシーンにこの4月ぐらいからなってしまった。
きっかけはあまり覚えていないけれど、そのおかげで調子がいい。
いや、調子が悪いときも、それなりにそれを肯定しているだけなのかもしれない。
省エネになったのに、行動をしている。これは中途半端なメリットである。
だから、僕は結構適当で楽観的でちゃらんぽらんである。
それが美徳だと思っている。
職場でも結構怒られる。ふざけるなとか、笑いごとじゃないとか、そういうことをピリッといわれることがある。ピリピリになる。
僕自身はまぁ言っている意味はわかるけれど、落ち着きなさいな、と思う。
そもそも、笑い事じゃないということを笑うということは重要なことである。
その場の空気や雰囲気に流され続けてしまうことは、おそらくよくない。
TPOとか空気を読むとか、いろんなことを言われる。常識とか、普通とか。
ただ、そういうものに巻かれて生きてきていないので、なんだか今その方向に向かってしまうと、どうにも、今までの自分を否定してしまうようなそんな気がしている。
だから、多少周りの人の気を悪くさせる結果になったとしても、僕自身ではへらへらふざけていくということである。
中途半端な可能性をずっと追い求めている。
これは若い人に特有のことではないと僕は思う。
自信を持ちたそうな人は多い。ただ、自信を持っている人は少ない。
僕はこうみえても、結構自身がある。理由は特にない。でもそれの意味は大きいと思う。
自分を信じられないという人がいるかもしれない。もちろん僕もその中の人一人である。
ただ僕が以前の僕と違う点は何かというと、ある程度諦めているのである。
傷つくこともあるし、うまくいかないこともある。
どうしようもないことも、なさけないこともある。
そういうことを認めている。
ただ、認めていないこともある。
そういう理由で目の前の出来事を拒絶することを僕は拒絶している。
So what?と言い続けるのはちょっと大変な時も確かにある。でも、その時は休んだりしたらいい。問題に対して着手する方法を僕はそれしかしらない。