![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/42298707/rectangle_large_type_2_32955ad5e473b985ac221985b9a28ebd.jpg?width=1200)
クリスマスの悲劇〜架空闘病生活
令和3年1月。
相変わらず家に引きこもりがちである。
正月の「非日常感」はあまり好きではない。TVも面白くない、お節もそんなに好きではない。その上、寒い。
そういえば先月は、家族で大神ファームに菜の花を見に行った。ここなら密にならずに自然を楽しむことが出来る。
菜の花は春のイメージがあるが、この菜の花は早咲きらしい。
2020年は、息が詰まりそうな日々が続いた。
しかし、最後にここに来れて良かった。
一面に広がる黄色を目前に、テンションが上がる我が家族。キャッキャとはしゃいで、写真を撮りまくった。
しかし、この時はまだ知らない。
数日後にとんでもない悲劇が起こることを。
クリスマスが近付くある夜、夫が就寝前に胃腸に違和感があると言いだした。
夫は体調の変化に鈍感なタイプである。彼が体の違和感を訴えることは年に一度あるかないかというレベルである。
とりあえず、就寝することにした。
朝6時頃。夫が私を起こした。
いつもより早い時間で若干の混乱を起こす。
夫は、今日は会社を休む旨、私に伝えた。
夫が体調不良で休むのは何年ぶりであろうか。私は驚いて飛び起きた。
「え!何?大丈夫⁉︎」
話を聞くと、夫は夜中に何度も嘔吐と下痢を繰り返していたらしい。
ーー( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)
体調に鈍感な人の体調の違和感は間違いがないことを知る。
私は動揺した。
もちろん、夫が心配である。
しかし、それより心配なのは、、、
ーー自分。
この期に及んで、最低な人間であるが、なんせこの私、
ーー嘔 吐 恐 怖 症
もし自分に感染したとすれば、嘔吐は免れない。
私は動揺しすぎて、小刻みなステップを踏みまくった。
とりあえず夫は病院に向かい、感染性胃腸炎と診断された。精密な検査をしないと分からないのだが、症状からいくとノロウイルスっぽいということであった。
感染性……これ、絶対自分、
ーーうつってね( ゚д゚)⁉︎
その日夫は、さすがにグッタリしていた。
夫がグッタリしていることはそうそうない。よく食うし、夜は眠りに落ちるまで3分も要しない。いつでも元気。
ただし、最近は体重の増加、コレステロール値等が要観察事項である。
それに比べ私は、いつでもグッタリしている。しかし、どこも悪くない。ただ単にスタミナ不足である。
というのも、私はかなりの痩せ型である。中学時代の最高記録から年々少しずつ減り、大学生くらいからは変わっていない。
ダイエットをしているわけではない。
嘔吐恐怖が原因で、満腹で苦しい状態になるのが怖いのである。いつも腹七分くらいである。
しかもこの嘔吐恐怖、何故か年々拍車がかかっているように思う。
こんな私の、第一関門は「妊娠」であった。
つ わ り 。 絶対、
ーー吐くやん( ゚д゚)
実際は、一度も吐かなかった。
常に気持ち悪くはあったが、悪阻が軽い方だったのだろう。
しかし、嘔吐への恐怖とホルモンの乱れが相まって、精神的に相当病んでしまった。
「嘔吐に怯える1日」の長さに驚いたものである。妊娠の9ヶ月間の体感はおよそ2年である。
そして、今回私にこのような形で第二関門が現れるとは、あの菜の花畑にいた時には想像だに出来なかった。
とはいえ、少し小さい関門は2度ほどあった。
2歳の娘がこれまでに2度嘔吐している。車酔いと食べすぎに依るものである。
その時もやはり動揺に動揺を重ね、どうやって処理したかは覚えていないほどである。
激しい動悸を起こしながら、無駄に大量の小さなウエットティッシュをチマチマ使っていた記憶がある。
人は動揺すると、普段しないことをしてしまうものである。
人の嘔吐を見てしまった時、いつもお守り代わりに持ち歩いているミントの飴と、抗不安薬を飲む。
これでどうにか乗り越えてきた。
しかし、今回私が対峙しなければならないのは「自身の嘔吐」である。
考えただけで発狂。
何故こんなことに……
原因は明らかに夫である。この時ばかりは、夫を少し恨んだ。仕方ないのは分かっている。胃腸炎はいつ誰がなるか分からない。たまたま夫が罹ってしまっただけである。
しかし、ふと頭に過ぎったのは、夫の「指先だけチョロっと洗う手洗い」の様子。
これまで幾度となく注意してきた。
しかし、習慣化した夫の指先洗いは、このご時世においてもなかなか治らなかった。
夫がもしも手を真面目に洗っていたら……
そんなこと今さら考えても無意味である。
夫は翌日には「普段通り」な感じに戻っていた。回復が早かったと思う。
そして、その日の夜、さらなる悲劇が我が家を襲う。
深夜12時半頃、娘嘔吐。
ーー終わった。
そう思った。
ちょうどクリスマスイブからクリスマスに突入した夜のことである。
今年はノークリスマス、いや、ノロクリスマス。そう悟った。
嘔吐は一度ではない。一晩中である。20回近く嘔吐したんじゃなかろうか。夫と全く同じ症状で、胃の中のもの全て…という感じであった。
夫が回復していたのが唯一の救い。
我々はその晩、いつもの食卓にて地獄絵図を見た。
詳細を書くのは躊躇われるので割愛。
一言で言うと、「あの優しいサンタクロースも近寄れないレベル」である。
しかし、愛娘が苦しむ姿は本当に見ていられなかった。
出来ることなら代わってあげたい。
ーー嘘っす。
ごめんよ、娘、これだけはどうしても無理なのだ。
しかし、全ての母親が思えるのだろうか?「代わってあげたい」と。
実際代われることになったら、「やっぱやめた」と言うんじゃなかろうか。
ーーアウトーー‼︎
私に「己の全てを子どものために犠牲に出来る良い母親」というのは無理なのだろう。
しかし、娘をこの上なく愛していることだけは事実である。それが重要ではないかと思う。
娘の嘔吐が落ち着いた午前4時頃病院へ向かった。
看護師に事情聴取され、状況を答えた。
すると、娘と同じくらいの子がお母さんに連れられて病院に入ってきた。
同じように、看護師に事情聴取されていた。驚いたのは、答えた内容が我々とほぼ同じ。
きっと、同じウイルスがこの辺りで猛威をふるっているに違いない。
そういえば、12月に入って、お隣の福岡県で、福岡市だけノロウイルスが異常に流行っているという記事を見た。
その時は「何故?」と思った。
コロナが流行りだしてからというもの、ほぼ全員がマスクをしているし、手の消毒や備品等の消毒も例年よりしているはずである。感染性のものは防げるんじゃないか?という素人の考えでいた。
実際、インフルエンザやノロウイルスは全国的には激減しているらしいので、家族がノロウイルスに罹るとは1ミリも思っていなかった。
ーー人生もウイルスも分からないものである。
そして私は、「ノロウイルス感染疑い濃厚患者」となったのである。
娘の吐瀉物は処理してしているし、感染しないはずがない。
ノロウイルスの潜伏期間は24〜48時間である。実際、娘の症状が出たのも、夫のちょうど48時後であった。
ということは…?
私も48時間以内に…あの地獄を…
とりあえず、夫と娘の症状を思い返すと、胃の中が空になるまで何度も嘔吐する。夫も娘も、爆食いタイプである。
それで嘔吐が長引いたんじゃ…
ということは…?
ーー食べなきゃいいじゃーん(*゚∀゚*)
胃の内容物が少なければ、たとえ嘔吐することになっても2〜3回で済むのでは?と単純すぎる考えに至った。
さすがに全く食べないわけにはいかないので、雑炊を作ってちまちまと食べることにした。
消化に良いものを選んで食べ、胃に負担をかけないよう心がけた。
親友荻子には、「それで免疫力を落とす方が悪い。」と言われた。
ーーたしかに。
娘発症から48時間経過。この間、娘が嘔吐下痢からの脱水を起こし、再び病院に運び点滴を打ったりした。
大変であった。しかし、嘔吐への恐怖は少し紛れた。
娘は徐々に回復してくれた。風邪をあまりひかない、体力が有り余るあの我が子がグッタリとするくらい、ノロウイルスというものは恐ろしい。
48時間経過したものの、まだ感染の可能性は否めない。よく考えたら、娘の発症の何日か後に、吐瀉物の飛沫等で感染する可能性も高い。
そうなると、潜伏期間はずれ込む。
そもそもノロウイルスは、室温では10日間生存し、感染力も失わないらしい。
ーー愕然。
ということは…?
2021年の仕事始めくらいまでは安心出来ないことなる。
ーー( ゚д゚)
それからというもの、私は何度も「エア胃腸炎」を起こした。
夜中になると、胃がギュルギュルなる。
今日こそは間違いない。何度ビニール袋を口元に構えただろう。
今考えれば、食べる量が少なくて胃が荒れていたのだろう。
私の「思い込み」は宇宙を越える。どこも悪くないのに吐き気まで催すことが可能である。
そんな私に夫と荻子は、いつものように冷静な視線を向けた。
夫は、「アレは吐くしかないんだから、そうなったら仕方ないでしょ(´•ω•`)」と言う。
ーー嫌である。
どうにか吐かない方法を模索する。
でも、仮にもし…もし吐くことになったら、不安すぎるので一緒にいてくれるかい?と聞いた。すると、
「吐く時はトイレに行った方がいいよ。」
と返ってきた。
なんという人間だろう。そもそも、このウイルスの持ち込み犯はおそらく彼であるというのに。
しかし、よく考えれば、彼は自身が何度も嘔吐している時、私を起こさなかった。
自分なら100%起こしていると思う。そして、吐いている間ずっと横にいるよう指示するだろう。
なんと迷惑なんだろう。
そして、荻子からLINEで送られてきた、
「病は気から!」
という、忠告も耳に入らなかった。
どんどん加速するエア胃腸炎。ついには、病院に行くことにした。
幸いにも、私のかかりつけは胃腸科である。
何かノロウイルスに打ち勝つヒントを貰えないだろうか。
病院で症状を事情聴取された。夫と娘がノロウイルスらしきものに感染し、このところ私も、胃がもたれているようなギュルギュルするような…という説明をした。
血液検査の結果、白血球数から私は今のところ胃腸炎にかかっていないことが判明した。
ここ何日か完全に「エア胃腸炎」であったことが証明された。
先生は、「そうねぇ、状況的には罹ってもおかしくないから、胃腸のお薬出しときますね。」と言った。そして帰されそうになった。
待ってくれ。
「先生、私はノロウイルスに感染するんでしょうか(´༎ຶོρ༎ຶོ`) 吐くのは絶対嫌なんです!」
「もし感染したとしても、胃腸薬飲んでいれば、軽減出来るかもしれないです。」
ーー軽減。
重要なのは吐くか吐かないかなのである。
もう少し色々聞きたかったのだが、ノロウイルスに打ち勝つ方法はもはや…
ーーない。
と悟った。そりゃそうである。感染しない方法が存在すれば、新型コロナ対策なんかもお手のものである。
栄養摂取面が心配であった私は、その後点滴を希望し、2時間程を病院で過ごした。
私が「エア○○病」に罹ってこの病院を訪れたのは、これが初めてではない。
昨年の3月頃、夫の取引先の病院が「新型コロナの抗体検査」を始めたという情報を耳にした。PCR検査とは違い、過去にコロナに罹ったことがあるのかが分かる検査である。
ちょうどその時、私は「エア新型コロナ」に罹患していた。変な咳が続いていたのである。
その少し前にも、何年ぶりかに38度超えの熱を出していた。病院に行って検査したが、インフルエンザではなかった。
ーーこれ、アレやろ⁉︎ 間違いなく、アレ!
当時は、コロナの情報もまだ少なく、一度罹患すると再び罹ることはない等、情報が錯綜している時であった。
よく分からんが、その抗体検査とやらを受けに行くことにした。意味がなかったとしても、取引先なので、営業協力という意味で意味のあることだろう。
結果、これまでにコロナに罹患したことがないことが証明された。
咳止めの薬等を貰って帰った。
そこの先生がとても温和な感じの人で、そこをかかりつけにすることに決めた。
2度目にそこに行ったのは、昨年の初夏に「エア心臓病」を起こした時である。
何もしていないのに、心臓?胃?食道?の辺りが大きく脈打つのである。
その度に気持ち悪さと不安が押し寄せ、何とも言えない気分になる。
それに、私は頻脈である。じっとしていても脈拍100超えのこともある。その辺も少し気になるところである。
とりあえず病院へ。
心電図、異常なし。
胃カメラ、異常なし。
血液検査、異常なし。
ーーあれ?
先生も首を傾げる。とりあえず、動悸に効く漢方を出してもらい、それを飲むことになった。
こんなに派手に検査したが、漢方薬に落ち着く。
まぁ、何もなくて良かったけど。
この症状は、受診後徐々におさまり、今は全くない。
3度目は、7月に夏バテを起こし、点滴目的で受診した。その時処方された、補中益気湯という漢方がかなり体に合って、その後体調は良くなったように思う。
4度目は、何故受診したのか覚えていない。多分何か小さな不調があったのだろう。その時も、補中益気湯を貰って帰っている。
そして今回の「エア胃腸炎」である。
5回の受診中、3回は完全な「エア」である。先生も看護師も、私の顔を見ると口元が薄ら笑っているに違いない。
しかし、これだけは声を大にして伝えておこう。
私は、確かに症状を有している。「かまちょ」ではない。
自身でその症状を最大に膨らませた結果の「エア○○病」である。
……然るべき科を紹介されるのは時間の問題だろう(´-ω-`)
そんなこんなで、今日は1月5日である。
まだ完全にノロウイルスとの戦いが終わったとは思っていない。
ノロウイルスは2週間〜1ヶ月は、便から排出されるらしい。
毎日娘のオムツを替えている私は、今もなお危険な状態に晒されている。
もちろん、手洗い、次亜塩素酸での消毒は徹底しているが、相手はウイルスである。100%排除は無理である。
今回このウイルスを免れたとしても、この先も私は色々な病と、それ以上に「エア病」も患うことになるだろう。
この、「自身で自身の首を絞めるような性質」に辟易している。
35年に及ぶこの悪癖をこれから治すのは難しいと感じる。だからと言って、この性質を受け入れるのも辛すぎる。
「四十にして惑わず」
とよく聞くが、本当にあと5年で色んなことに迷わなくなるのであろうか。精神的に多少落ち着いてくるにしても、体力は下り坂まっしぐらである。加速するエア病。それどころかエアではない病も出てくるだろう。
とりあえず今日も、迷走に迷走を重ね、1日を終えるのであった。